大学などの教育機関におけるデータサイエンス教育が熱気を帯びている。欧米に比べ遅れをとっている日本のデータ活用を加速させるべく、政府は関連する人材の育成を重要課題に据えて施策を展開。特に高度人材の輩出につながる大学・高専への期待は高まっている。そんな中、データサイエンス教育を支援するITベンダーの動きが広がってきた。狙いや展望を探ると、ITベンダーの支援が秘める大きな可能性が浮かんできた。
(取材・文/大畑直悠、藤岡 堯)
データサイエンスとは一般的に、社会活動で生じるさまざまなデータを数学や統計、プログラミング、AIなどを利用して分析し、有益な価値を引き出す学問とされ、社会課題の解決や国際的な経済競争力の強化、イノベーションの創出には不可欠とされる。
ただ、日本においては人材の圧倒的な不足が指摘されており、政府は教育体制の構築を図っている。2019年に策定された「AI戦略2019」では、25年までに、全ての大学・高専生(年間約50万人卒)にデータの読み解き方や関数をはじめとする統計・数理知識など「初級レベル」のスキルを習得させ、その半数の25万人を応用レベルにするとの目標を掲げた。
実現に向け、文部科学省は大学・高専を対象に、統計学やプログラミングなどの基本知識や技術を指導するカリキュラムの認定制度を設けるなど、教育機関の意欲を高める施策を進めている。
政府の方針に呼応するかたちで、データサイエンス専門の学部・学科を設けたり、教育課程の中に必修科目として組み入れたりする大学や高専も増えてきた。しかし、指導教員や効果的な教材・ツールの不足が普及のハードルとなっている。
課題が鮮明となる中で、ITベンダーによる支援がにわかに広がっている。ベンダーはなぜ教育機関を支え、どのように後押ししているのか。また、教育機関側はベンダーに何を望んでいるのだろうか。
裾野を広げ、高度な人材を増やす
タブロー/北陸大
北陸大学(金沢市)と米セールスフォースの事業部門であるタブローは4月、データ分析スキルの教育で協力を開始した。学生の視野を広げ、高度な人材を増やすことが狙い。タブローは「Tableau Desktop」の無償ライセンス付与、世界で提供する「Tableauアカデミックプログラム」を基にした学習教材の提供、講師派遣などの支援を実施。北陸大の1年生約800人全員は、必修科目の「情報リテラシー科目」でタブローのソリューションを活用し、データ分析の基礎を学んでいる。
タブローのアカデミックプログラムは、世界で約200万人に利用されている。しかし、日本の状況は異なり、セールスフォース・ジャパン常務執行役員の佐藤豊・Tableau事業統括カントリーマネージャーは「日本ではビジネス面では浸透しているが、学生の利活用は皆無で、大きなギャップがある」と説明する。北陸大のように、全学規模のカリキュラムに組み込まれるのは日本で初のケースという。
佐藤 豊
Tableau事業統括
カントリーマネージャー
佐藤カントリーマネージャーは「学生に(データ分析に)触れてもらうこと」が教育の第一歩との認識を示し、初めてデータを扱う学生にとっては、Pythonなどのプログラミング言語を使わずに、Excelだけでは対応できないデータを分析できることは大きなメリットになるとしている。
その上で「データピープルが多くなれば、企業の競争力につながるデータ活用ができるようになったり、社会課題に対してデータを使ったりする機会が増えるだろう」と期待。データを扱う学生が増えれば、日本社会とデータの向き合い方は大きく変わり、課題となっている人材不足の解消につながる可能性もあるとみている。
本年度からタブローは、教育機関への支援強化を担う専門の人材を配置し、高等教育機関の支援を強化している。北陸大の学長補佐(情報・IR担当)である田尻慎太郎・経済経営学部教授は、「窓口を用意してもらい、内容について議論できるのはありがたい」と評価する。今後の展開については「ノーコードでデータ分析の基礎を学べるのはいいが、そこで興味を持った学生が、その先の機械学習などにステップアップしていける科目が必要になる」とし、より専門的なカリキュラムを構築するとともに、学生が大学外で得た知識やスキルを発揮できる場を設けることも検討する。
北陸大
田尻慎太郎教授
佐藤カントリーマネージャーは「全学規模での支援を増やし、教職員で(タブローを使った教育に関する)コミュニティをつくっていただくことにも取り組みたい」と話す。さらに、分析結果を活用するアプリケーションの開発など、分析だけにとどまらない支援の枠組みの構築も目指す考えだ。
教育から研究をカバーし、国のレベルを底上げ
エヌビディア/滋賀大
エヌビディアは5月、滋賀大学(滋賀県彦根市)のデータサイエンス・AIイノベーション研究推進センターと産学連携の推進に向けた協定を締結した。エヌビディアの先端技術やビジネスの知見と、滋賀大の教育に関する知見を組み合わせた教材開発や、ジュニアから一般社会人までを対象としたAI・データサイエンス教育の普及につなげる構想だ。エヌビディアが国内の大学と協定を結ぶのは初となる。
滋賀大は、17年に日本初となるデータサイエンス学部を開設するなど、AI・データサイエンス教育の先駆けとして知られる。同学部の齋藤邦彦・教授は、以前からエヌビディア側と関わりがあり、エヌビディアの教材である「NVIDIA DLIデータサイエンス教育キット」の日本語化を齋藤教授の研究室が引き受けていた。これが縁となり、さらなる関係強化を望んだ滋賀大側が協定を打診した。
滋賀大
齋藤邦彦教授
エヌビディアは、自社のテクノロジーを生かした社会貢献の一環として人材育成を推進し、とりわけ教育機関における育成を重視している。一方で「教育現場がどのような悩みを抱えているか、ニーズがつかめていない」(エンタープライズ事業本部の廣岡信行・高等教育/研究機関ビジネスデベロップメントシニアマネージャー)との悩みがあった。連携を通じて教育現場の課題をより深く把握し、解決につなげていくためにも、今回の協定の意義は大きいと廣岡シニアマネージャーは説明する。
エヌビディア
廣岡信行
シニアマネージャー
連携に基づく取り組みとして、まずは教材開発が挙げられる。同学部の教授で、データサイエンス・AIイノベーション研究推進センターの笛田薫・センター長は「裾野を広げるだけでなく、さらに上を目指すレベルの教材や、教材を使った人材育成プログラムをつくりたい」と展望する。
滋賀大
笛田 薫
センター長
入門編的な教材は滋賀大や他の教育機関でもある程度用意されているが、エヌビディアのような最先端の企業が抱える技術や知見をカバーできる教材は極めて少ない。齋藤教授は「データサイエンスだけでなく、AIやIOT、3Dモデリング、高速コンピューティングも含めて、教材の供給源になれたら理想的」と話す。
滋賀大は、研究面でもエヌビディアのソリューションを活用していく。分子シミュレーションの計算や医用画像解析のアノテーションなど、多岐にわたる利用が見込まれる。デジタルツインのプラットフォームである「Omniverse」を使い、琵琶湖の湖底を3Dモデル化する試みも進めている。
今回の協定では、教育から研究までをカバーすることで、データ人材の拡大だけでなく、国内全体のレベルを底上げしていく点が肝といえるだろう。大学側としても、企業が抱える課題を研究へフィードバックできれば、さらに社会を前進させるきっかけにもつながる。廣岡シニアマネージャーは「滋賀大との取り組みを先進事例として、他の教育機関にも広げていければいい」と未来を見据える。
地場のIT企業にも活躍の余地
今回取り上げた二つの支援例は、先進的なベンダーの取り組みであるが、地域のSIerなどのIT企業が活躍できる余地はある。例えば、教育機関でのカリキュラムづくりでは、ビジネスの現場の声などを反映することも大切で、地場のユーザー企業と向き合っているIT企業ならではの視点で提案できることは少なくないはずだ。
企業のデータは守秘性が高く、簡単には活用できない。しかし、教育に利用することができれば、学生はより実践的な知識を得ることができる。実際のビジネスの中で集められた「生きたデータ」を学生が使えるようにするためにも、IT企業には、ユーザー企業と教育機関の懸け橋としての役割も求められるようになるかもしれない。
学生の進路という観点からも、IT企業と教育機関の連携は重要だ。企業が求める人材像を大学などが把握することで、よりビジネスの現場で活躍できる人材を育成することができるからだ。逆にIT企業にとっては、学生との接点が増えれば、優秀な人材を確保するチャンスとなる。
ようやく緒に就いた日本の教育機関のデータサイエンス教育。より効果的なものにしていくために、IT企業による支援は大きな可能性を秘めている。