Special Feature
産学で挑む最先端テクノロジー ミスマッチしないための出口戦略
2022/10/31 09:00
週刊BCN 2022年10月31日vol.1944掲載
最新技術の発展期には産学連携の動きが活発になる。現在であれば、AIやデジタルツイン、メタバースといった分野で、企業と大学が関わりを深め、社会実装に向けた取り組みを加速させている。企業にとっては研究機関の人材や施設の活用、大学にとっては研究資金や新たな視点を得る手段、という相互のメリットは変わらないが、長い歴史の中でより成果を得るために見直されている部分もあるようだ。“出口戦略”をキーワードに産学連携の最新のあり方を探った。
(取材・文/大蔵大輔)
ソフトバンク × 慶應義塾大学SFC研究所
ソフトバンクは今年6月に慶應義塾大学SFC研究所(SFC研究所)と連携し、慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスに「デジタルツイン・キャンパスラボ」を設立。10月から本格的に研究開発をスタートしている。ラボでは同社の5Gネットワークがスタンドアロンで構築されており、今後はセンサーや動画像認識、空間センシングなどによるキャンパス空間のデジタル化、物理空間と仮想空間の相互連携による問題発見や課題解決、自動運転のための自己位置推定技術などの研究を行っていく。
今回のプロジェクトでソフトバンク側の責任者を務める先端技術研究所の湧川隆次所長は「5Gは個人向けコンテンツとしては4Gと差別化できるものが少なく、産業向けのインフラとしての期待値が高い。その中でもデジタルツインは大容量・低遅延・多接続というメリットを生かし切ることができるテクノロジーだ」と通信キャリアとしてデジタルツインに取り組む意義を語る。
ソフトバンク 先端技術研究所 湧川隆次 所長
自動運転を例に挙げると、分かりやすい。例えば、時速100キロメートルで走行する自動車をデジタルツインによって現実と仮想空間で同期させた場合、1秒のタイムラグが発生するだけで、車の位置には約30メートルのズレが生じる。これは安全性を最重視する同分野にとって看過できない問題だ。このようにスマホではなかなかメリットを実感できない5Gだが、産業インフラにおいては旧世代の通信では代用できないものとなっている。
企業の取り組みである以上は最終的な出口として「事業化」を設定しているケースが多いが、今回の連携の狙いは別のところにあるという。「デジタルツイン・キャンパスラボは、5Gや3Dマップという技術を使い倒してもらうことが目的で、事業化を出口にはしていない」(湧川所長)。実は大学におけるモバイル通信はWi-Fiで止まっている。同校の卒業生である湧川所長は「かつてSFCは最新のネットワークを利用できることで有名だった。使い倒す学生が山のようにいるので、通信ベンダーはこぞってキャンパスに最新機器を持ち込み、テストを行っていた。しかし、モバイル通信となると周波数が必要な無線ということもあり、大学側では手を出せない。地域WiMAXの取り組みもあったが、本格的な運用には至らなかった。5Gは次世代のインフラとして期待されているのに、それを自由に使える環境が大学にないというのが現状だ」と話す。それゆえに「5Gを多用途に使い倒してもらえる」という環境は非常に貴重で、明確な事業化のビジョンを設定せずとも十分に価値があるというわけだ。
事業を出口としない理由は他にもある。それが「技術と事業はマッチングしない」という産学連携の落とし穴だ。「研究開発だと何をもってゴールとするか明確だが、事業開発はそう単純ではない。事業は最新テクノロジーを使いこなせれば成功するわけではなく、マーケティング戦略などに影響されるところが大きい。また評価軸が多岐に渡るので、成功の判断も難しい。したがって、技術と事業を切り離して考えることが大事だ」(同)。
近年は企業と大学の研究のあり方も変化している。かつて大学では基礎研究が中心だったが、インターネットの社会における役割が大きくなるにつれて、応用研究の注目度が高まってきた。事実を探究する基礎研究と異なり、応用研究には問題意識が必要だ。そこで問題意識を提起する企業との連携がこれまで以上に活発化になってきた。
湧川所長は「従来はコストが高くて途中で止めることができないような研究が多かったが、現在はデジタルの進歩によって低コストでさまざまな研究ができるようになり、継続/中止の判断がしやすくなった」と語る。先端技術研究所でも「3年で成果が出なければトピックを入れ替える」とのことだが、産学連携においてもスピード感のある研究が今まで以上に求められるようになってきている。
富士通 × 東北大学
富士通は今年9月に東北大学とヘルスケア事業における提携を発表した。同大学がオープンイノベーションを加速するために整備を進めている「サイエンスパーク」で、共同研究開発や人材交流、開発施設の相互利用を促進することが目的。今後は同分野におけるデジタルツインやAIモデル、データ分析の開発に取り組んでいく。
富士通 森田嘉昭 Japanリージョン ビジネスマネジメント本部 戦略企画室 エグゼディレクター
提携の主体は富士通だが、研究開発を担うのは2年前にヘルスケア事業を移管した富士通Japanだ。取材に応じた富士通 の森田嘉昭・Japanリージョンビジネスマネジメント本部戦略企画室エグゼディレクターは、富士通Japanでソリューション開発グループヘルスケアソリューション開発本部の本部長を兼務し、今回のプロジェクトを富士通、富士通Japan双方の立場からマネジメントしている。
富士通のヘルスケア事業は病院情報システムを中心に展開しており、国内トップシェアを誇っている。直近ではクラウドサービスやゲノム医療などヘルスケアDXにも力を入れている。東北大学でも同社の電子カルテなどのシステムを導入しており、今回の提携はそうした長年の関係性に加え、それぞれが掲げる「東北大学ビジョン2030」と「Fujitsu Uvance」の世界観の類似がきっかけとなった。
森田エグゼディレクターは「Fujitsu Uvanceの実践のためには、産学連携が欠かせないと考えていたところ、Healthy Livingについて堤(富士通の堤浩幸・執行役員SEVP JapanリージョンCEO)と東北大学の担当者が対談する機会があり、双方のビジョンに共通するものが多いことが判明した。そこで双方が手を支え合うことで、新たなイノベーションの実現できるのではないかとの思いに至った」と経緯を説明する。
Healthy Livingはウェルビーイング社会を実現するためにFujitsu Uvanceが注力している領域で、「治療」ではなく「予防」に重きを置いているのが特徴だ。今回のプロジェクトであれば、疾患の可能性を検知するAIモデルや患者の意思決定を支援するデジタルツインなどの開発を目指す。
森田エグゼディレクターは「富士通が納品していた病院情報システムは主に治療を支援するものだったが、医療従事者の働き方改革が喫緊の課題となる中で予防医療に貢献するものにしていかなくてはならない」と患者側だけでなく医療従事者側の事情にも触れた。
出口となる事業化や製品化のKPIは現在進めている最中だが、来年には現場実証に進み、実用化に向けた動きを加速させる考えだ。森田エグゼディレクターは「デジタルツインを活用した予防医療のソリューションはほとんど確立されていない。イノベーション創出のために大学側の知見は欠かせない」と期待を語った。また、ヘルスケア事業は最初の一歩で、今後は出口戦略をしっかり見定めた上で、別分野での連携も視野に入れているという。
森田エグゼディレクターが感じている産学連携のあり方の変化は「規模感」だ。「これまで富士通のヘルスケア事業における産学連携は単独の医療機関と組んだ限定的な範囲のものだったが、今回は『治療から予防へのシフト』という拡大的なテーマを設けている。デジタルの進歩によって、より大きな提携が可能になった」と語る。
一方、ビジネスで投資回収をするという目利きが企業に委ねられるという構造は従来通りで、テーマが大きくなるほどその難易度は高まるともみている。「場合によっては、共同研究で得た成果を、企業が引き取ってビジネスモデルに移し替えていくプロセスも求められる」と2段構えの出口戦略を用意する必要性を説いた。リクルート × 東京大学
東京大学は今年9月にダイバーシティ&インクルージョンをコンセプトにした工学分野の新たな教育の場として「メタバース工学部」を開講した。メタバースの場所を問わずに参加できるという特性を生かし、さまざまな年齢や立場の人に工学分野の学びを提供している。講座は、中高生、保護者、教師が対象のジュニア工学教育プログラム(ジュニア講座)、社会人や学生が対象のリスキリング工学教育プログラム(リスキリング講座)に分かれており、前者では工学分野の早期教育と工学系キャリアの後押し、後者は学び直しやリスキリングによるDX人材の育成を目的とする。
東京大学という看板が前面に打ち出されているメタバース工学部だが、実は東京大学単独ではなく、複数の法人会員企業と連携した上で成立している産学連携のプロジェクトだ。その中でプラチナ法人会員兼運営委員会の2022年度幹事企業を務めているのがリクルートだ。同社は「メタバース工学部サイト」の構築・制作ディレクション・運営サポートなど、主に情報発信や外部とのコミュニケーションの役割を担っている。
リクルート アドバンスドテクノロジーラボ 竹迫良範 所長
責任者であるアドバンスドテクノロジーラボの竹迫良範所長は「東京大学とは以前からディスカッションを行っており、現在の日本企業における課題はDXとダイバーシティだと話していた。その共通意識が今回のコラボレーションにつながった」と経緯を説明する。
リクルートとして参画するメリットはそれぞれの講座である。まず、ジュニア講座では工学部のイメージを刷新したいという狙いがある。「工学部は油にまみれるような印象がいまだに強く、女性の志望者が圧倒的に少ない。現在のデジタル中心の新しい工学部像を伝えることで、男女比率を変えていきたい」(竹迫所長)。同社では「スタディサプリ進路」という高校生が大学を選択するためのサイトを運営しており、将来的にはメタバース工学部で得た知見をもとに、新たなキャリアカタログを開発していく考えだ。
次にリスキリング講座では、DX人材の育成やジュニア講座と同じく女性の工学系人材の増加を目指す。これは同社の代表的事業である人材サービスが顧客企業の求める人材の不足という問題に直面しているからだ。企業の求める人材を増やし、需要と供給のバランスを整えることは、巡り巡って人材サービスの価値向上につながるというわけだ。
メタバース工学部では10万人以上の受講者獲得を目標に掲げているが、同社として具体的な事業化などの出口は設定していない。「産業の育成が長期的視点で自社のサービスに貢献する」というスタンスだ。アドバンスドテクノロジーラボでは長年の連携の中で「産学連携は利他的でなければならない」という思いが根付いており、竹迫所長は「短期的なKPI設定は不幸の元。長期的に取り組んでいくという姿勢が重要だ」と語る。
同ラボは産学連携の取り組みが活発で、現在は11大学と共同プロジェクトを推進しているが、20年ほど前に大学と企業の関係性の変化を実感したという。竹迫所長は「ECなどの登場で企業が膨大なデータを所有する時代になった。これまでは企業が持ち込んだ技術課題を解決するという連携が主だったが、現在は問題提起と合わせて企業側のデータを活用した共同研究が増えている」と指摘する。
オープンソースやオープンイノベーションの文化が広がってきたことも、研究のあり方を大きく変えた。竹迫所長は「共同研究の前には先に大学と企業が双方の成果を握らなければいけなかったが、現在は特許に縛られずに進められることも増え、社会実装のスピード感は上がっている」と産学連携の最新事情を説明した。
(取材・文/大蔵大輔)

ソフトバンク × 慶應義塾大学SFC研究所
技術と事業はマッチングしない
ソフトバンクは今年6月に慶應義塾大学SFC研究所(SFC研究所)と連携し、慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスに「デジタルツイン・キャンパスラボ」を設立。10月から本格的に研究開発をスタートしている。ラボでは同社の5Gネットワークがスタンドアロンで構築されており、今後はセンサーや動画像認識、空間センシングなどによるキャンパス空間のデジタル化、物理空間と仮想空間の相互連携による問題発見や課題解決、自動運転のための自己位置推定技術などの研究を行っていく。今回のプロジェクトでソフトバンク側の責任者を務める先端技術研究所の湧川隆次所長は「5Gは個人向けコンテンツとしては4Gと差別化できるものが少なく、産業向けのインフラとしての期待値が高い。その中でもデジタルツインは大容量・低遅延・多接続というメリットを生かし切ることができるテクノロジーだ」と通信キャリアとしてデジタルツインに取り組む意義を語る。
自動運転を例に挙げると、分かりやすい。例えば、時速100キロメートルで走行する自動車をデジタルツインによって現実と仮想空間で同期させた場合、1秒のタイムラグが発生するだけで、車の位置には約30メートルのズレが生じる。これは安全性を最重視する同分野にとって看過できない問題だ。このようにスマホではなかなかメリットを実感できない5Gだが、産業インフラにおいては旧世代の通信では代用できないものとなっている。
企業の取り組みである以上は最終的な出口として「事業化」を設定しているケースが多いが、今回の連携の狙いは別のところにあるという。「デジタルツイン・キャンパスラボは、5Gや3Dマップという技術を使い倒してもらうことが目的で、事業化を出口にはしていない」(湧川所長)。実は大学におけるモバイル通信はWi-Fiで止まっている。同校の卒業生である湧川所長は「かつてSFCは最新のネットワークを利用できることで有名だった。使い倒す学生が山のようにいるので、通信ベンダーはこぞってキャンパスに最新機器を持ち込み、テストを行っていた。しかし、モバイル通信となると周波数が必要な無線ということもあり、大学側では手を出せない。地域WiMAXの取り組みもあったが、本格的な運用には至らなかった。5Gは次世代のインフラとして期待されているのに、それを自由に使える環境が大学にないというのが現状だ」と話す。それゆえに「5Gを多用途に使い倒してもらえる」という環境は非常に貴重で、明確な事業化のビジョンを設定せずとも十分に価値があるというわけだ。
事業を出口としない理由は他にもある。それが「技術と事業はマッチングしない」という産学連携の落とし穴だ。「研究開発だと何をもってゴールとするか明確だが、事業開発はそう単純ではない。事業は最新テクノロジーを使いこなせれば成功するわけではなく、マーケティング戦略などに影響されるところが大きい。また評価軸が多岐に渡るので、成功の判断も難しい。したがって、技術と事業を切り離して考えることが大事だ」(同)。
近年は企業と大学の研究のあり方も変化している。かつて大学では基礎研究が中心だったが、インターネットの社会における役割が大きくなるにつれて、応用研究の注目度が高まってきた。事実を探究する基礎研究と異なり、応用研究には問題意識が必要だ。そこで問題意識を提起する企業との連携がこれまで以上に活発化になってきた。
湧川所長は「従来はコストが高くて途中で止めることができないような研究が多かったが、現在はデジタルの進歩によって低コストでさまざまな研究ができるようになり、継続/中止の判断がしやすくなった」と語る。先端技術研究所でも「3年で成果が出なければトピックを入れ替える」とのことだが、産学連携においてもスピード感のある研究が今まで以上に求められるようになってきている。
富士通 × 東北大学
デジタルで大規模な提携が可能に
富士通は今年9月に東北大学とヘルスケア事業における提携を発表した。同大学がオープンイノベーションを加速するために整備を進めている「サイエンスパーク」で、共同研究開発や人材交流、開発施設の相互利用を促進することが目的。今後は同分野におけるデジタルツインやAIモデル、データ分析の開発に取り組んでいく。
提携の主体は富士通だが、研究開発を担うのは2年前にヘルスケア事業を移管した富士通Japanだ。取材に応じた富士通 の森田嘉昭・Japanリージョンビジネスマネジメント本部戦略企画室エグゼディレクターは、富士通Japanでソリューション開発グループヘルスケアソリューション開発本部の本部長を兼務し、今回のプロジェクトを富士通、富士通Japan双方の立場からマネジメントしている。
富士通のヘルスケア事業は病院情報システムを中心に展開しており、国内トップシェアを誇っている。直近ではクラウドサービスやゲノム医療などヘルスケアDXにも力を入れている。東北大学でも同社の電子カルテなどのシステムを導入しており、今回の提携はそうした長年の関係性に加え、それぞれが掲げる「東北大学ビジョン2030」と「Fujitsu Uvance」の世界観の類似がきっかけとなった。
森田エグゼディレクターは「Fujitsu Uvanceの実践のためには、産学連携が欠かせないと考えていたところ、Healthy Livingについて堤(富士通の堤浩幸・執行役員SEVP JapanリージョンCEO)と東北大学の担当者が対談する機会があり、双方のビジョンに共通するものが多いことが判明した。そこで双方が手を支え合うことで、新たなイノベーションの実現できるのではないかとの思いに至った」と経緯を説明する。
Healthy Livingはウェルビーイング社会を実現するためにFujitsu Uvanceが注力している領域で、「治療」ではなく「予防」に重きを置いているのが特徴だ。今回のプロジェクトであれば、疾患の可能性を検知するAIモデルや患者の意思決定を支援するデジタルツインなどの開発を目指す。
森田エグゼディレクターは「富士通が納品していた病院情報システムは主に治療を支援するものだったが、医療従事者の働き方改革が喫緊の課題となる中で予防医療に貢献するものにしていかなくてはならない」と患者側だけでなく医療従事者側の事情にも触れた。
出口となる事業化や製品化のKPIは現在進めている最中だが、来年には現場実証に進み、実用化に向けた動きを加速させる考えだ。森田エグゼディレクターは「デジタルツインを活用した予防医療のソリューションはほとんど確立されていない。イノベーション創出のために大学側の知見は欠かせない」と期待を語った。また、ヘルスケア事業は最初の一歩で、今後は出口戦略をしっかり見定めた上で、別分野での連携も視野に入れているという。
森田エグゼディレクターが感じている産学連携のあり方の変化は「規模感」だ。「これまで富士通のヘルスケア事業における産学連携は単独の医療機関と組んだ限定的な範囲のものだったが、今回は『治療から予防へのシフト』という拡大的なテーマを設けている。デジタルの進歩によって、より大きな提携が可能になった」と語る。
一方、ビジネスで投資回収をするという目利きが企業に委ねられるという構造は従来通りで、テーマが大きくなるほどその難易度は高まるともみている。「場合によっては、共同研究で得た成果を、企業が引き取ってビジネスモデルに移し替えていくプロセスも求められる」と2段構えの出口戦略を用意する必要性を説いた。
リクルート × 東京大学
短期的なKPI設定は不幸の元
東京大学は今年9月にダイバーシティ&インクルージョンをコンセプトにした工学分野の新たな教育の場として「メタバース工学部」を開講した。メタバースの場所を問わずに参加できるという特性を生かし、さまざまな年齢や立場の人に工学分野の学びを提供している。講座は、中高生、保護者、教師が対象のジュニア工学教育プログラム(ジュニア講座)、社会人や学生が対象のリスキリング工学教育プログラム(リスキリング講座)に分かれており、前者では工学分野の早期教育と工学系キャリアの後押し、後者は学び直しやリスキリングによるDX人材の育成を目的とする。東京大学という看板が前面に打ち出されているメタバース工学部だが、実は東京大学単独ではなく、複数の法人会員企業と連携した上で成立している産学連携のプロジェクトだ。その中でプラチナ法人会員兼運営委員会の2022年度幹事企業を務めているのがリクルートだ。同社は「メタバース工学部サイト」の構築・制作ディレクション・運営サポートなど、主に情報発信や外部とのコミュニケーションの役割を担っている。
責任者であるアドバンスドテクノロジーラボの竹迫良範所長は「東京大学とは以前からディスカッションを行っており、現在の日本企業における課題はDXとダイバーシティだと話していた。その共通意識が今回のコラボレーションにつながった」と経緯を説明する。
リクルートとして参画するメリットはそれぞれの講座である。まず、ジュニア講座では工学部のイメージを刷新したいという狙いがある。「工学部は油にまみれるような印象がいまだに強く、女性の志望者が圧倒的に少ない。現在のデジタル中心の新しい工学部像を伝えることで、男女比率を変えていきたい」(竹迫所長)。同社では「スタディサプリ進路」という高校生が大学を選択するためのサイトを運営しており、将来的にはメタバース工学部で得た知見をもとに、新たなキャリアカタログを開発していく考えだ。
次にリスキリング講座では、DX人材の育成やジュニア講座と同じく女性の工学系人材の増加を目指す。これは同社の代表的事業である人材サービスが顧客企業の求める人材の不足という問題に直面しているからだ。企業の求める人材を増やし、需要と供給のバランスを整えることは、巡り巡って人材サービスの価値向上につながるというわけだ。
メタバース工学部では10万人以上の受講者獲得を目標に掲げているが、同社として具体的な事業化などの出口は設定していない。「産業の育成が長期的視点で自社のサービスに貢献する」というスタンスだ。アドバンスドテクノロジーラボでは長年の連携の中で「産学連携は利他的でなければならない」という思いが根付いており、竹迫所長は「短期的なKPI設定は不幸の元。長期的に取り組んでいくという姿勢が重要だ」と語る。
同ラボは産学連携の取り組みが活発で、現在は11大学と共同プロジェクトを推進しているが、20年ほど前に大学と企業の関係性の変化を実感したという。竹迫所長は「ECなどの登場で企業が膨大なデータを所有する時代になった。これまでは企業が持ち込んだ技術課題を解決するという連携が主だったが、現在は問題提起と合わせて企業側のデータを活用した共同研究が増えている」と指摘する。
オープンソースやオープンイノベーションの文化が広がってきたことも、研究のあり方を大きく変えた。竹迫所長は「共同研究の前には先に大学と企業が双方の成果を握らなければいけなかったが、現在は特許に縛られずに進められることも増え、社会実装のスピード感は上がっている」と産学連携の最新事情を説明した。
最新技術の発展期には産学連携の動きが活発になる。現在であれば、AIやデジタルツイン、メタバースといった分野で、企業と大学が関わりを深め、社会実装に向けた取り組みを加速させている。企業にとっては研究機関の人材や施設の活用、大学にとっては研究資金や新たな視点を得る手段、という相互のメリットは変わらないが、長い歴史の中でより成果を得るために見直されている部分もあるようだ。“出口戦略”をキーワードに産学連携の最新のあり方を探った。
(取材・文/大蔵大輔)
ソフトバンク × 慶應義塾大学SFC研究所
ソフトバンクは今年6月に慶應義塾大学SFC研究所(SFC研究所)と連携し、慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスに「デジタルツイン・キャンパスラボ」を設立。10月から本格的に研究開発をスタートしている。ラボでは同社の5Gネットワークがスタンドアロンで構築されており、今後はセンサーや動画像認識、空間センシングなどによるキャンパス空間のデジタル化、物理空間と仮想空間の相互連携による問題発見や課題解決、自動運転のための自己位置推定技術などの研究を行っていく。
今回のプロジェクトでソフトバンク側の責任者を務める先端技術研究所の湧川隆次所長は「5Gは個人向けコンテンツとしては4Gと差別化できるものが少なく、産業向けのインフラとしての期待値が高い。その中でもデジタルツインは大容量・低遅延・多接続というメリットを生かし切ることができるテクノロジーだ」と通信キャリアとしてデジタルツインに取り組む意義を語る。
ソフトバンク 先端技術研究所 湧川隆次 所長
自動運転を例に挙げると、分かりやすい。例えば、時速100キロメートルで走行する自動車をデジタルツインによって現実と仮想空間で同期させた場合、1秒のタイムラグが発生するだけで、車の位置には約30メートルのズレが生じる。これは安全性を最重視する同分野にとって看過できない問題だ。このようにスマホではなかなかメリットを実感できない5Gだが、産業インフラにおいては旧世代の通信では代用できないものとなっている。
企業の取り組みである以上は最終的な出口として「事業化」を設定しているケースが多いが、今回の連携の狙いは別のところにあるという。「デジタルツイン・キャンパスラボは、5Gや3Dマップという技術を使い倒してもらうことが目的で、事業化を出口にはしていない」(湧川所長)。実は大学におけるモバイル通信はWi-Fiで止まっている。同校の卒業生である湧川所長は「かつてSFCは最新のネットワークを利用できることで有名だった。使い倒す学生が山のようにいるので、通信ベンダーはこぞってキャンパスに最新機器を持ち込み、テストを行っていた。しかし、モバイル通信となると周波数が必要な無線ということもあり、大学側では手を出せない。地域WiMAXの取り組みもあったが、本格的な運用には至らなかった。5Gは次世代のインフラとして期待されているのに、それを自由に使える環境が大学にないというのが現状だ」と話す。それゆえに「5Gを多用途に使い倒してもらえる」という環境は非常に貴重で、明確な事業化のビジョンを設定せずとも十分に価値があるというわけだ。
事業を出口としない理由は他にもある。それが「技術と事業はマッチングしない」という産学連携の落とし穴だ。「研究開発だと何をもってゴールとするか明確だが、事業開発はそう単純ではない。事業は最新テクノロジーを使いこなせれば成功するわけではなく、マーケティング戦略などに影響されるところが大きい。また評価軸が多岐に渡るので、成功の判断も難しい。したがって、技術と事業を切り離して考えることが大事だ」(同)。
近年は企業と大学の研究のあり方も変化している。かつて大学では基礎研究が中心だったが、インターネットの社会における役割が大きくなるにつれて、応用研究の注目度が高まってきた。事実を探究する基礎研究と異なり、応用研究には問題意識が必要だ。そこで問題意識を提起する企業との連携がこれまで以上に活発化になってきた。
湧川所長は「従来はコストが高くて途中で止めることができないような研究が多かったが、現在はデジタルの進歩によって低コストでさまざまな研究ができるようになり、継続/中止の判断がしやすくなった」と語る。先端技術研究所でも「3年で成果が出なければトピックを入れ替える」とのことだが、産学連携においてもスピード感のある研究が今まで以上に求められるようになってきている。
(取材・文/大蔵大輔)

ソフトバンク × 慶應義塾大学SFC研究所
技術と事業はマッチングしない
ソフトバンクは今年6月に慶應義塾大学SFC研究所(SFC研究所)と連携し、慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスに「デジタルツイン・キャンパスラボ」を設立。10月から本格的に研究開発をスタートしている。ラボでは同社の5Gネットワークがスタンドアロンで構築されており、今後はセンサーや動画像認識、空間センシングなどによるキャンパス空間のデジタル化、物理空間と仮想空間の相互連携による問題発見や課題解決、自動運転のための自己位置推定技術などの研究を行っていく。今回のプロジェクトでソフトバンク側の責任者を務める先端技術研究所の湧川隆次所長は「5Gは個人向けコンテンツとしては4Gと差別化できるものが少なく、産業向けのインフラとしての期待値が高い。その中でもデジタルツインは大容量・低遅延・多接続というメリットを生かし切ることができるテクノロジーだ」と通信キャリアとしてデジタルツインに取り組む意義を語る。
自動運転を例に挙げると、分かりやすい。例えば、時速100キロメートルで走行する自動車をデジタルツインによって現実と仮想空間で同期させた場合、1秒のタイムラグが発生するだけで、車の位置には約30メートルのズレが生じる。これは安全性を最重視する同分野にとって看過できない問題だ。このようにスマホではなかなかメリットを実感できない5Gだが、産業インフラにおいては旧世代の通信では代用できないものとなっている。
企業の取り組みである以上は最終的な出口として「事業化」を設定しているケースが多いが、今回の連携の狙いは別のところにあるという。「デジタルツイン・キャンパスラボは、5Gや3Dマップという技術を使い倒してもらうことが目的で、事業化を出口にはしていない」(湧川所長)。実は大学におけるモバイル通信はWi-Fiで止まっている。同校の卒業生である湧川所長は「かつてSFCは最新のネットワークを利用できることで有名だった。使い倒す学生が山のようにいるので、通信ベンダーはこぞってキャンパスに最新機器を持ち込み、テストを行っていた。しかし、モバイル通信となると周波数が必要な無線ということもあり、大学側では手を出せない。地域WiMAXの取り組みもあったが、本格的な運用には至らなかった。5Gは次世代のインフラとして期待されているのに、それを自由に使える環境が大学にないというのが現状だ」と話す。それゆえに「5Gを多用途に使い倒してもらえる」という環境は非常に貴重で、明確な事業化のビジョンを設定せずとも十分に価値があるというわけだ。
事業を出口としない理由は他にもある。それが「技術と事業はマッチングしない」という産学連携の落とし穴だ。「研究開発だと何をもってゴールとするか明確だが、事業開発はそう単純ではない。事業は最新テクノロジーを使いこなせれば成功するわけではなく、マーケティング戦略などに影響されるところが大きい。また評価軸が多岐に渡るので、成功の判断も難しい。したがって、技術と事業を切り離して考えることが大事だ」(同)。
近年は企業と大学の研究のあり方も変化している。かつて大学では基礎研究が中心だったが、インターネットの社会における役割が大きくなるにつれて、応用研究の注目度が高まってきた。事実を探究する基礎研究と異なり、応用研究には問題意識が必要だ。そこで問題意識を提起する企業との連携がこれまで以上に活発化になってきた。
湧川所長は「従来はコストが高くて途中で止めることができないような研究が多かったが、現在はデジタルの進歩によって低コストでさまざまな研究ができるようになり、継続/中止の判断がしやすくなった」と語る。先端技術研究所でも「3年で成果が出なければトピックを入れ替える」とのことだが、産学連携においてもスピード感のある研究が今まで以上に求められるようになってきている。
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