中高一貫校の郁文館夢学園(東京都文京区)は「デジタルキャンパス化構想」を2024年度をめどに実現する。21年から取り組んでいるプロジェクトで、まずは教職員の業務のデジタル化からスタート。教員約120人の勤務時間について、合計で年間約6万時間の効率化を成し遂げるとともに、次のフェーズではオーダーメイド教育を念頭に生徒の個人カルテの作成やデータベース化を推し進める。生徒や保護者のコミュニティ基盤、生徒のマイポータル機能などの整備を行い、24年4月1日の本稼働を目標に開発している。ベースとなったシステムはキヤノンITソリューションズ(キヤノンITS)の教育支援情報プラットフォーム「in Campus(インキャンパス)シリーズ」で、学園の要望に合うようカスタマイズしている。
(取材・文/安藤章司)
教職員の働き方改革からスタート
郁文館夢学園のデジタルキャンパス化構想の背中を押したのはコロナ禍による密集や密接を避けるために情報システムの一層の活用に迫られたことだった。学園のなかには出欠簿や試験用紙、申請承認の書類といった紙文書が大量にあり、これをデジタル化することで接触の度合いを下げる検討が行われた。
(左から)郁文館夢学園の榊原賞氏、藤井崇史執行役、
キヤノンITSの田口進一郎主任、川島淳郎氏
ただ、コロナ禍に端を発する教職員の業務のデジタル化だけに終始せず、「生徒の学習環境のデジタル化にも取り込む」(郁文館夢学園の藤井崇史・執行役人材開発室室長社会科教諭)目標も掲げてデジタルキャンパス化に着手した。
教職員のデジタル化の効果は即効性のあるものだった。効果が大きかったのは生徒の出欠管理で、22年に紙の出欠簿をタブレット(iPad)に置き換えたことで記入にかかる時間がゼロになり、教務管理システムへ手作業で転記する手間もなくなった。
例えば、毎朝「きょうは体調が悪いので休みます」などを電話で受け付けるのを原則取り止めて、欠席申請をオンラインへ移行させて効率化した。ほかにも授業ごとの出欠管理をシステム化し、テストの答案用紙をOCRを使って即座にデジタル化。進路管理システムの導入によって生徒面談や進路相談の事前準備にかかる時間を短縮した。法人管理本部人材開発室の榊原賞氏は、「教員の勤務時間について、年間約6万時間の効率化を実現できるようになった」と試算している。
教職員の業務デジタル化を優先したのは、コロナ禍への対応の側面があったものの、その先には「教員が生徒と向き合う時間をより多く生み出す」(藤井執行役)狙いもあった。デジタルキャンパス化構想の所轄部門を情報システム部門とするのではなく、(教職員の)人材開発室としたのもこのためだ。もちろん、ITツールを駆使してコロナ禍への対応ができたという実績が、結果として教職員からの支持や、デジタル化の機運を高めるのに大いに役立っているという。
郁文館夢学園
1889年に設立。中高一貫校で、中学校と高等学校、1年間の海外留学のカリキュラムがあるグローバル高等学校、通信制のID学園高等学校を運営している。理事長は外食事業を手がけるワタミ会長兼社長で元参議院議員の渡邉美樹氏。
郁文館夢学園の外観
IT活用で“夢教育”の実践を重視
教職員の働き方改革の次のフェーズが、生徒の学習環境のデジタル化だ。生徒1人1人の個人カルテをつくり、学習履歴や成績、面談記録などをデータベース化し、教員と生徒が過去の履歴を参照しながら学習方針や進路相談を行う。データを起点として生徒の学習状況や進路希望を可視化し、生徒ごとに最適な指導ができるプラットフォームの構築を進めている。
生徒の希望に寄り沿ったオーダーメイドの教育環境の整備に当たって、郁文館夢学園の特色の一つである“夢教育”の実現を重視した。夢教育とは、かなえたい夢を持ち、その夢の実現に日付を入れ、そこから逆算して今どのような学力を身につけ、どのような進路を目指すべきかを考える教育手法だ。
例えば中学のとき、将来の夢は「正社員」「公務員」などとただ漠然と答えていたとしても、学習を重ねていくうちに正社員のなかでもITエンジニア、水族館の飼育係、大工、公務員では警察官、消防士、自衛隊員といったより具体的な目標に絞り込んでいく。独立して経営者や弁護士、YouTuber(ユーチューバー)になるとすれば、どのような会社を創業するのか、ユーチューバーならどのジャンルにするのかと具体化させていく。
こうした夢の設定は面談やカウンセリング、進路相談を通じて生徒から引き出していくものであり、面談の記録が散逸しないようデータベース化し、今の学力と照らし合わせながら指導していく仕組みの構築を目指している。データを起点とした可視化を行うことで、目標とする夢からの逆算がしやすくなり、「夢教育はデジタルキャンパスと非常に相性がいい」(藤井執行役)という。
夢教育にもとづくデジタルキャンパス化構想を検討するに際して学園では、教務システムなどを手がけるベンダー複数社に声をかけた。そのなかで、主に大学向けに学習管理システムや学内コミュニティ、学生ポータルなどをパッケージ化した教育支援情報プラットフォームのin Campusシリーズを開発するキヤノンITSに一連のシステム開発を依頼することに決めた。
郁文館夢学園では正確な要件定義、柔軟なカスタマイズ対応を求めており、個別開発を強みとするSIerのキヤノンITSと相性がよかった。大学向けでは全国120件余りの納入実績を誇るin Campusであったが、中等教育向けでは郁文館夢学園の案件が実質初めてであり、「中等教育市場への進出は切実な願いであった」(キヤノンITSの田口進一郎・文教ソリューション営業本部第二営業部主任)ことから両者の方向性が一致した。
中高デジタル変革のモデルケースに
プロジェクトはin Campusの中等教育市場への本格進出の嚆矢となるだけに、「中高で必要となる機能や使われ方を丁寧に聞き込んで要件定義を行い、in Campusを中高向けにゼロから作り直す気概で臨んだ」と、キヤノンITS文教ソリューション営業本部第一営業部の川島淳郎氏は話す。大学との大きな違いの一つに保護者との情報共有が挙げられる。大学向けでは学生が自分の責任で学習の進行を管理するのに対して、中高では教員と生徒、保護者が密に情報共有を行い、ともに歩んでいく体制が求められる。
ほかにも、郁文館夢学園のグローバル高等学校ではカナダやオーストラリア、ニュージーランドの約200校のいずれかに生徒1人で1年間留学する制度がある。その際、受け入れ先学校の教育方針や在籍している教員、留学する生徒の希望を考慮してマッチングするが、これには「熟達した経験が欠かせない」(藤井執行役)という。
例えば、体育好きな生徒、語学の学習意欲が高い生徒、文化交流が好きな生徒などの特性のマッチング度が高いと学習効果は飛躍的高まるため、組み合わせの最適解を得られるようなデータベースの構築が欠かせない。留学前の面談記録や帰国後の学力や進路の変化といったデータを分析することで、比較的経験の浅い若手教員でも熟練教員に近い指導が可能になり、教育サービスの均質化や質の一段の向上が期待される。
24年4月1日の本稼働に向けて、生徒個人カルテや出欠や提出物の状況を確認できるマイポータル、入学から進学までの一貫したデータベースなどの開発を進めており、「23年秋をめどに開発を完了させる」(田口主任)予定だ。すでに通信制高校を除いた中高、グローバル高校の約1500人のほぼ全員がシステム登録に同意し、教職員に向けたより高度で応用的なデジタル活用研修の準備を進めている。
多くの機能を新規で開発するなかで、「他校でも汎用的に使える部分についてはin Campusのパッケージの標準機能として反映し、今後の中等教育市場への横展開に活用していくことを検討している」(田口主任)。郁文館夢学園も「全国の中学高等学校のデジタルキャンパスのモデルケースになる」(藤井執行役)と、大学に比べてデジタル化が遅れていると指摘されることが多い中等教育のデジタル変革につなげていく熱意をもってプロジェクトに取り組んでいる。