AIモデル「Claude」を提供する米Anthropic(アンソロピック)が、日本市場の開拓を本格化させている。「倫理と安全性を軸にしたAIモデル」という特徴を打ち出し、一般的なビジネス利用に加えて、開発環境への浸透も狙う。10月29日には日本法人「Anthropic Japan」の開設を正式に発表し、社長には米Snowflake(スノーフレイク)日本法人のトップを務めた東條英俊氏が就いた。東條社長は体制の構築を急ぐとともに、企業への導入拡大を目指すと表明。国内では「ChatGPT」を擁する米OpenAI(オープンエーアイ)が先んじて拠点を設けてエンタープライズ事業を展開する中、安全性と親和性を訴求し、競合との差別化を図る。同日の会見から戦略を詳報する。
(取材・文/春菜孝明)
アンソロピックは2021年、オープンエーアイ出身者によって設立され、ChatGPTが公開された4カ月後の23年3月にClaudeを一般公開した。生成AI市場の急速な拡大や、安全性にこだわる点などを背景に、後発ながら存在感を示している。
グローバル展開を加速させる中、東京はアジア太平洋地域(APAC)で初の拠点となる。韓国・ソウルとインド・ベンガルールでの開設も発表しているが、「日本は戦略的に大切な市場。アジアでは日本からだ」(クリス・シアウリ・国際担当マネージングディレクター)と重要市場に位置付ける。
「憲法」で有害な出力を回避
創業者のダリオ・アモデイ・CEOはオープンエーアイの研究担当副社長だった当時、AIシステムの開発では安全性と長期的な視点を重視すべきと考え、急進的な商用化を懸念。社内での対立から同社を飛び出した経緯がある。この開発思想は、同社が手掛けるモデルの大きな特徴につながっている。
記者会見に臨んだ(左から)
マイケル・セリット・グローバルアフェアーズ責任者、
東條英俊・Anthropic Japan社長、
クリス・シアウリ・国際担当マネージングディレクター、
ポール・スミス・CCO
同社のモデルには、安全性を担保する仕組みとして、モデルに「憲法的(constitutional)な原則」を与え、それに基づいて出力を評価・改善する「Constitutional AI」が取り入れられている。普遍的な人権尊重や文化的配慮などの原則をモデルが理解し、自己修正を可能とすることで、有害なスクリプトによる出力や不適切な回答を回避している。ポール・スミス・最高商務責任者(CCO)は「(Constitutional AIは)単なるポリシーやガイドラインではなく、モデル自体に組み込まれた規律だ」と説明する。
スミスCCOが「私たちの一番のフォーカスはBtoBだ」と語るように、国内でもエンタープライズがビジネスの主戦場になる。ただ、エンタープライズ利用ではAIがビジネスプロセスの一端を担うため、出力の信頼性確保は欠かせない。
同社は、AIの内部でどのような処理が行われているかを明らかにする「解釈可能性」の研究を重視している。これは個別の出力ではなく、AIの思考や構造そのものを解明し、透明性を高める取り組みだ。東條社長は「アウトプットが正確なこともそうだが、なぜそうなったのか、道筋を解釈することも非常に大事だ」と語る。また、特殊なプロンプトによってAIの安全機能を回避する「ジェイルブレイク攻撃」への耐性も強化している。企業がAIを全社的に導入する際には、こうした仕組みが「信頼できるAI」を実現する基盤となる。
モデルの安全性は独自の5段階指標「ASL(AI Safety Levels)」で表す。ASL-1は「非常に安全でまだ危険性が伴わない」、ASL-5は「非常に壊滅的な結果をもたらす可能性がある」とし、現在のモデルをASL-3と評価する。リリース前にあらかじめ起こりそうな問題や危険性を把握し、安全策を講じているという。
同社の企業形態が、公共の利益創出を目的にした「パブリック・ベネフィット・コーポレーション(PBC)」であることも挙げ、「自社収益の追求以上に安心・安全を担保することが私たちのミッションだ」(東條社長)と強調する。
また、日本政府が立ち上げたAI安全性評価機関「AIセーフティ・インスティテュート(AISI)」と覚書を締結。AI評価やリスク管理、ガバナンスの分野で政府と歩調を合わせる。AIの国際ルールを形成する「広島AIプロセス」を拡張する「広島AIプロセス・フレンズグループ」にも参加し、責任あるAIの普及に努める姿勢を示す。
デベロッパーコミュニティー形成へ
アジア初の拠点に日本が選ばれた背景には、すでに国内の多くの企業で利用されていた実態がある。みずほフィナンシャルグループで従業員3万人がClaudeを利用するなど大規模導入も進む中、技術サポートや新たなユースケース開拓のための対話を早急に進める必要があった。安全・安心にこだわる日本の市場特性が、アンソロピックの「安全性最優先」というミッションと親和性が高かったことも、日本進出の大きな理由としている。
国内への投資では、ローカライゼーションに重きを置いている。日本語には対応済みで、文化や商慣習の学習も行っている。言語の精度向上を図るため、リサーチ機能がある研究拠点を国内に持つという中長期的な計画も明らかにしている。
データの所在地が問題となる「データレジデンシー」にも言及している。AIとの対話を通じて自社データが持ち出される懸念に対し、最新の汎用モデル「Claude Sonnet 4.5」では「Amazon Bedrock」を経由することで国内閉域環境での利用が可能になるという。
エンタープライズ戦略の軸の一つが、開発環境への浸透である。開発者向けの「Claude Code」が中核機能で、開発スピードを飛躍的に改善する存在として認知度を高めている。開発者に代わってコードを連続的に生成するエージェントで、単なる補助ではなく、複雑な要件にも対応できるコード生成を行う。クラスメソッドが全社で利用した事例では、「最近のプロジェクトのコードベースの99%」をClaude Codeが生成し、生産性が10倍向上したという。楽天では、営業日ベースで24日かかっていた新機能の市場投入を5日に短縮した。メルカリでも新規事業や機能開発の場面で活用が進んでいる。
法人設立を機に、ベストプラクティスなどを意見交換するデベロッパーコミュニティーの形成を掲げる。ソフトウェアやコーディングのエンジニアに照準を合わせた格好で、東條社長は「Claude Codeでエンジニアの生産性が高まり、工数が下がる。SIは人を使ったビジネスだが、お客様はそこでのコストダウンを期待している」と訴求力に自信を示している。
これまでにモデルを導入した企業では、コスト削減や社内の生産性向上が主な目的であり、調査や学習の用途が中心だと分析する。現時点では、ユーザーの顧客や社外に向けた活用、収益向上に直結する活用のユースケースは少なく、今後増やしたい考えだ。
AWSパートナーらとエコシステム始動
エンタープライズ市場へのGo-to-Market戦略を推進するため、組織の整備にも取り掛かっている。会見時点で日本法人は3人体制であり、「お客様やパートナーをしっかりカバーできる、十分なスタッフをそろえていきたい」(東條社長)とする。企業向けの営業チームをつくり、営業職のほか、プリセールスエンジニアによるユースケースの掘り起こしも計画している。ソリューションアーキテクトやプロダクトエンジニアといった技術営業、パートナー、マーケティング、ガバメントリレーションにもそれぞれ担当を配置する方針だ。
パートナーセールスに関しては、「Amazon Web Services」(AWS)のリセラープログラムなどを通じて、国内の販売代理店との協力開始を公表している。個社名や具体的な施策はアナウンスされていないものの、スミスCCOは「日本のテクノロジーマーケットではパートナーが実装やアウトソーシングに大きな役割を果たしている。このダイナミクスに強く傾注しなければならない」と、パートナーセールスにコミットメントする姿勢も示す。東條社長も「(パートナー)プログラムの提供などは、当然のこととして取り組まなければならない活動」と意気込み、単独ではなくエコシステム全体で顧客価値を創出する構えだ。
競合に当たるオープンエーアイは先んじてNTTデータグループとの販売代理店契約を発表している。LLM(大規模言語モデル)の主要ブランドが日本市場での事業を本格化させたことで、国内の生成AIビジネスは新たな局面を迎えそうだ。