生成AIが脚光を浴びる中、半導体メーカー各社がAI処理の高速化機能を持つプロセッサーを続々発表している。PCメーカーは、それらを搭載したAI対応の新製品を投入し、2024年を「AI PC元年」と位置付ける。「ChatGPT」などクラウドに依存するAIに対し、端末上で処理するAIには、消費電力、応答速度、プライバシーなどの面でメリットがある一方で、本格的な普及にはAI PCに対応したソフトウェア開発が欠かせない。各社はAI PC普及に向けどんな戦略を描いているのか。
(取材・文/堀 茜、日高 彰)
米Intel
AIのクラウド依存を脱却
ChatGPTをはじめとする多くの生成AIは、さまざまなデータを学習したAIモデルをクラウドサービスとして提供している。このため、AIを業務に活用する「推論」のフェーズにおいても、クラウド上のコンピューティングリソースを消費することが前提となっている。
これに対し、業務端末であるPCのプロセッサーにAI処理の専用回路であるNPU(Neural Processing Unit)を搭載し、クラウドではなく端末側でAIワークロードを実行する仕組みの実現に向けた製品が、半導体メーカー各社から提案されている。PC用CPU最大手の米Intel(インテル)は、CPU、GPUに加えてNPUを一つのプロセッサー上に包含した「Core Ultra」の提供を2023年12月に開始し、これを搭載した「AI PC」が各社から発売されている。インテルでは、25年末までに世界で1億台以上のAI PCを普及させることを目指している。
なぜAI処理を端末側で行う必要があるのか。インテル日本法人の安生健一朗・技術本部部長は、現在主流のクラウドに依存するAIアプリケーションについて、「データセンターの消費電力の増大、クラウド利用料の高騰など、すべての推論をクラウド経由にすることは環境面やコスト面から限界がある」と課題を指摘する。また、ビジネスにおけるAI活用ではデータセキュリティー面の課題もある。「社内データをクラウドに上げることに抵抗がある企業は非常に多く、AIの便利さとデータプライバシーを両立させる仕組みが求められている」(同)。
インテル 安生健一朗 技術本部部長
安生部長は「オンプレミスのサーバーとPCを活用して、企業にAIの価値を届ける役割を果たすのがAI PCだ」と説明する。個人がPC上でやり取りしたメールやWebの検索履歴などを学習した大規模言語モデル(LLM)がPC内で処理を行うことによって、よりパーソナライズされた推論を行い、個人が活用しやすいかたちのアウトプットができるというメリットもあるとする。
現状、利用者が最もわかりやすいかたちでAIの価値を体感できる場面が、オンライン会議だ。背景をぼかす際に、人物との境目を明確にしたり、音声のノイズを取り除いたりといった機能をAIが担っている。これらの処理は応答速度の問題や、前述のプライバシーの観点から、端末側で実行する必要があるが、PC上のCPUやGPUに負荷をかけると、消費電力が増大してバッテリー駆動時間が短くなったり、同時に動いている他のアプリケーションのパフォーマンスを低下させたりする。AIワークロードに特化したNPUに処理を任せることで、より少ない電力で快適にAIの恩恵を受けられるようになるというわけだ。
ソフト開発、早期製品化をサポート
ただ、現状ではNPUに対応したアプリケーションはごく一部に限られる。端末側でのAI活用の拡大に欠かせないのが、ソフトウェアを生み出す開発者だ。そこでインテルは、AI向けのアプリケーション開発者を対象とした「AI PCアクセラレーション・プログラム」をグローバルで23年10月にスタートした。今後2年間で100社のISVの参加を見込み、300超のソフトウェアの開発を目指している。
インテルは体験会などの実施でAI活用の普及にも務める
(3月に都内で実施した「AI PC Garden」関連のプロモーションイベント会場)
さらに国内独自の取り組みとして、開発者やAIを活用した新たなビジネスを模索するスタートアップなどを対象に、最新技術を学びあう場として23年12月に「AI PC Garden」を開始した。インテルではAI開発の実作業を担当する技術者だけでなく、経営層に対してもAI向けアプリケーションにどのようなビジネスチャンスがあるか情報を提供し、必要に応じて技術トレーニングや機材貸与なども行っている。コスト面の優位性だけにとどまらず、端末側でAIを処理するからこそできる価値の創造をともに考えていくという姿勢だ。「技術面、ビジネス面双方で、非常に多くの企業から関心を寄せていただいている」と手応えを語る。
AI PC Gardenの活動の一環として、開発者向けのハッカソンを開催。技術的に面白いアイデアを実ビジネスにつなげるため、ベンチャーキャピタルを交えて議論する場も設けている。重視しているのは、アイデアを製品化するスピード感だ。「ソフトウェア開発に取り組んでいる企業には、早期の製品化によって先行者利益を得てほしい。いいものを早くという意味で、インテルとしてソフトウェアの製品化を後押ししていきたい」(安生部長)。ソフトウェア開発を強力にサポートすることで、AI PCの機能を拡充し、普及に弾みをつける考えだ。
米AMD
オープンソースでソフト開発を推進
米Advanced Micro Devices(アドバンスト・マイクロ・デバイセズ、AMD)は、データセンター向け、サーバー向けなど幅広いAI対応プロセッサーのポートフォリオを持つ。その中でPC向けには、AI処理に最適化した機能群の「Ryzen AI」を提供している。Ryzen AIは、CPUアーキテクチャーの「Zen」、GPUアーキテクチャーの「RDNA」、そして22年に買収した米Xilinx(ザイリンクス)の技術を基に開発したNPUアーキテクチャーの「XDNA」を統合しており、インテルに先立つ23年春に搭載PCの出荷が開始された。パフォーマンスが優れているだけではなく電力効率の良さが特徴で、サステナビリティーの観点からも優位性が高いとしている。
米AMD ビクター・ペン プレジデント
元ザイリンクスCEOで現在はAMDのAI戦略を担当するビクター・ペン・プレジデントは4月に来日した際、AI PCが普及することの意義について「研究者や開発者だけでなく、企業で働く人や学生にとってもAIが身近なものになり、誰もがAIにアクセスしやすくなる」と語った。Ryzen AIを採用したPCでは、オンライン会議の際に人の目の動きをAIが追って画面の中心になるようにする機能などでAIを活用している。
同社はRyzen AIについて、第2世代の製品を開発中だ。次世代Ryzen AIの処理性能は「CPU、GPU、NPUの組み合わせで従来比3倍」(ペンプレジデント)。24年後半にリリースされる「Windows 11」の次期バージョンでは生成AIの活用を含めてより多くのAI機能が盛り込まれる予定だが、次世代Ryzen AIはそれらをより高い性能で処理できるという。
プロセッサーの性能を生かすソフトウェアの開発については、オープンソースを有効に活用していく方針を示した。ペンプレジデントは、多くのAI開発者が、特定のサプライヤーの意向に縛られずに独自にソフトウェアを開発したいと考えているとした上で、現在多くの開発がオープンソースのフレームワーク上で行われていると指摘。AMDとしてもLLMやツールを公開することで開発の活性化を促しているとして「当社のプラットフォームを使い、オープンソースのコミュニティーでイノベーションが起きれば、(AI PC向けに)さらに使える機能が増えてくる」と展望した。
日本AMD ジョン・ロボトム 社長
日本AMDのジョン・ロボトム社長は、国内のISV向けにソフトウェア開発を働きかけるなどの具体的な動きはまだないとしつつ、AI PCについては現状ゲーミング向け製品の需要が大きいと説明。AI機能の拡充については、「法人向けの利用では、推論機能を日常的に使うことが前提で、国内の顧客が必要とするソフトウェアは何かという部分が重要になる」として「国内での当社の認知度を上げながら、信頼される製品をより多く届けられるようにしたい」と述べた。
米Microsoftと米Qualcomm
AI PCの新基準となる「Copilot+ PC」
5月20日(米国時間)、米Microsoft(マイクロソフト)はAI処理に最適化したPCの新たなブランドとなる「Copilot+ PC」を発表した。Copilot+ PCが要求する水準を満たす初の同社製品として、第11世代の「Surface Pro」および第7世代の「Surface Laptop」を用意した。また、台湾Acer(エイサー)、台湾ASUS(エイスース)、米Dell Technologies(デル・テクノロジーズ)、米HP、中国Lenovo(レノボ)、韓国Samsung(サムスン)の各社からもCopilot+ PCが発売されることを明らかにしている。
5月に「Copilot+ PC」を発表した米マイクロソフトの
サティヤ・ナデラ会長兼CEO。
第1弾製品にはクアルコム製の半導体を採用した
マイクロソフトがCopilot+ PCの第1弾製品として発表したSurfaceの各機種は、プロセッサーとして米Qualcomm(クアルコム)の「Snapdragon X」シリーズを採用している。実績の多いインテルおよびAMDの半導体ではなくクアルコム製品を選択したのは、マイクロソフトはCopilot+ PCの要件として、AI処理性能の指標である「TOPS」の値が40以上であることを求めており、これを満たせるのが現状では45TOPSのNPUを備えるSnapdragon Xだけだからだ。
x86アーキテクチャーを採用するインテルとAMDに対し、クアルコムはArmアーキテクチャーのプロセッサーを提供している。マイクロソフトはx86版、Arm版それぞれのWindowsを提供しているが、アプリケーションの互換性などの理由でArm版の普及はごく限られた領域にとどまっていた。クアルコムはx86陣営に先駆けてNPUの性能を高めることで、同社が強みをもつスマートフォン市場に加えて、PC市場においてもSnapdragonの販売を伸ばしたい考えだ。
ただ、インテル、AMDともCopilot+ PCの要求水準を満たす次期製品の投入を予定しており、AI処理の性能がクアルコムに並ぶのは時間の問題という見方もある。今回のCopilot+ PCの発表で注目すべきは、PC用アプリケーションのプラットフォームとして最も大きな影響力をもつマイクロソフト自身が、NPUの活用普及に本腰を入れたという点だろう。同社では「DirectML」「Windows Copilot Runtime」といったAIアプリケーション向けのAPIやフレームワークを用意しており、これらを活用すれば、GPUやNPUを利用したAIアプリケーションの開発の際、ハードウェアの違いごとにプログラムを書き分ける手間が解消される。AI PCの普及はこれからだが、クラウドに依存しないAI活用の環境は着々と整いつつある。