ダイワボウ情報システム(Dis)は、2001年度の連結目標で売上高3300億円、経常利益32億円を打ち出していた。この目標について横山満社長は、「ほぼクリアできる」との見通しを明らかにする。昨年のIT産業は月を追うごとに市況が悪化していった。今年度はどんな予想図を横山社長は描くのか。
「大変な1年だった」、しかし増収を維持
――新年度(2003年3月期)がスタートします。まずは01年度(02年3月期)を振り返ってください。
横山 大変な年だったの一言ですね。増収、増益と思ってひたすら走ってきましたが、増収はともかく増益は実現できませんでした。
――昨年の中間決算発表の時点では、連結ベースで売上高3300億円、経常利益32億円という目標数字を出しておられましたが。
横山 最後の追い込みに拍車をかけて、何とか目標はクリアしたいと思っているところです(インタビュー日は3月11日)。
――赤字にはならないと。
横山 それはないです。さすがに増益は無理ですが。
――01年度、大手メーカーは下方修正を何度も繰り返すという苦しみを味わってきました。そのなかで御社が増収を維持し、利益も出せそうな要因はどこにあるのですか。
横山 当社は98年度に赤字決算を余儀なくされました。このときから社内体制の改革と社員の意識改革に取り組んできました。例えば、社内業務システムであるDIS-NETの改善、それを基盤としたウェブ上でのBtoB電子商取引システム「iDATEN(韋駄天)」の提供などです。こうした改革が効果を発揮するようになりました。在庫管理、原価割れでの販売、未収金、与信管理などをDIS-NETで相当精緻に管理できるようになりましたので、最も怖い流通在庫の抱え込みなどを未然に防げたなと思います。韋駄天はいま5500社にご利用いただいており、取引高の12%くらいにまでなっています。小口注文は、韋駄天を通じて発注いただき、自動的に発送まで結びつけようとの狙いで運用していますが、この考え方をご利用くださる皆さんも理解してくれていますので、近く20%くらいまではいくでしょう。当社の社員には、そこで浮いた時間を「顧客回りに費やせ」と言ってきたわけです。この辺の効果もかなり出ていると思います。
――ユーザー別に見ると、どんな感じでしたか。
横山 コンシューマ市場は年度を通じて沈んだままでしたね。法人市場は、昨年の年度入り当初は良かったんですが、だんだん厳しくなってきた。金融機関の貸し渋りが背景にあると思います。IT投資の必要性はわかっているんだが、お金の都合がつかないというユーザーが増えてきました。そこをカバーしてくれたのが、e-Japan構想がらみの官公庁需要でした。当社の場合、昨年10月頃から動き出しましたね。
自治体、学校で需要増、SEのコンサル能力を強化
――新年度ですが、どんな見通しを立てておられますか。
横山 法人市場の本格的回復は秋口になるでしょうね。ただ、自治体、学校などe-Japan関連の仕事がさらに増えることは確実なので、前半はこれがけん引役となるでしょう。それに、さっきも言いましたが、法人の皆さんもIT投資の必要性は痛感しているんですよ。だから、景気さえ回復し、銀行の貸し渋りが緩和されれば一気に需要は出てくると思います。
――中長期的にはどんな戦略を。
横山 当社はあくまでディストリビュータです。そこに徹するつもりですが、IT産業を形成する幅広い商品をきめ細かく取り扱っていきます。
――パソコンからITへと言葉が変化する中で、業界構造、扱い商品の変化などはありますか。
横山 IT化というのは通信のブロードバンド化と表裏一体の形で進んでいるわけです。パソコン本体も進化し、これまでは不可能だった画像データなどをパソコンで処理し、送信するニーズも生まれています。デジタルカメラのデータ編集、ビデオデータの編集などになりますと、記録型DVDなどの新しい周辺機器も必要になってきます。いまのところコンシューマ市場向けパソコンは、普及率が50%を超えたところで足踏み状態にありますが、たぶんホームサーバーに形を変えることで新しい膨大なニーズを発掘できるでしょう。
――ホームサーバーが新たな需要の起爆剤になるのでしょうか。
横山 ホームサーバーを核に、ストレージ、ネットワーク、セキュリティ製品、デジタルカメラやAV(音響・映像)機器などをきめ細かく品揃えし、スピーディな情報提供と付加価値で売れるようにするためのソリューション提供が重要だろうと考えています。豊富な商材をもっていることは、非常な強みなんですよ。一部に逆の見方もあるようですが、私自身は、豊富な商材をもつことは、やり方さえ間違わなければ必ず生かせると確信しています。
――人材育成面では、どのような対策をとられていますか。
横山 もちろん、一番重要なのは人材です。社員の意識改革には常日頃から取り組んでいます。ソリューション販売を強化するにはSEが重要だと考えており、SEの養成にはとくに力を入れています。企業に出向いて、付加価値を高めるにはどうしたらいいかなどのコンサルティングができるSEというのが1つの姿です。さらに自治体を相手にする場合は、また別の素養や知識をもった人間が必要になります。いま80人ほどコンサルティング能力をもったSEがいます。これを早急に100人以上にもっていき、どんどん増やしていくつもりです。資格も積極的に取るよう指導しています。インセンティブとしては、資格の種類により5万円から10万円を一時金として支給するようにしています。
――スピーディな情報提供の面では、どんな手立てを。
横山 当面、アメリカの情報ウォッチはさらに強化しなければいけないと考えており、例えばCTC(伊藤忠テクノシステム)さんと協力したりしながら、情報収集体制を強化しています。
眼光紙背 ~取材を終えて~
NECのパソコンを扱うことで大きくなった会社というと、すぐ名前が出てくるのはディストリビュータのダイワボウ情報システム、直販主体の大塚商会である。業態は違うが、ここ数年両社とも新しい成長戦略を模索してきた。大塚商会の場合、3000億円の大台に乗ったところで、売上高の伸び悩みに直面していたが、社内システムの改善や社員の意識改革で、2001年度決算では増益を実現した。一方のダイワボウ情報システムは、98年度の赤字決算以後、増収路線をひた走り、01年度の連結売上高は3300億円間近まで行きそうだという。ただし、減収決算となる。両社の戦略は大きく割れているが、どちらが時代の流れを捉えているのか。切磋琢磨しながら、IT産業におけるビジネスモデルを確立してもらいたいものだ。(見)
プロフィール
(よこやま みつる)1931年生まれ。山形大学工学部卒業。長年、繊維畑を歩き、ダイワボウ情報システムの実質的創業者として知られる山村滋氏(98年12月31日死去)とは旧知の間柄だった。91年、ダイワボウ情報システムに入社。四日市支店長、東京支店長を経て、94年に取締役首都圏パソコン事業部長。96年に常務取締役へ昇格、97年2月にパソコン事業本部長兼販売支援本部長兼販売推進部長。97年6月に社長就任。
会社紹介
ダイワボウ情報システムは、繊維業界では名門企業として知られる大和紡績の子会社として1982年に発足した。斜陽化しつつある繊維から非繊維業への進出。実質的な創業者として同社の今日を築いたのは故・山村滋氏である。横山氏は91年の入社。繊維業界時代から山村氏とは旧知の間柄だった。同社のような名門企業の子会社では、通常、新社長は親会社から降りてくる。それを振り切り、外部から入った横山氏を社長に据えたのは山村氏の腕力と慧眼をもってこそ初めて成し得たことだったのだろう。98年度決算は赤字に転落。後ろ盾となるべき山村氏は98年12月31日に死去。この間、どんな苦労をしたのか。横山社長は黙して語らない。99年度決算では劇的復活を果たし、以来、増収・増益路線を追求。01年度決算では増益こそ実現しなかったが、増収は果たし、売上高を3000億円の大台に乗せた。