学校の情報化は政府主導により、1980年代後半から「内需拡大」の大号令のなか、「コンピュータ室の整備」という名目で始まった。だが、当初はハードウェアの導入が先行、指導者不足などの課題を抱え、「中身のない情報教育」が進んだ。この沈滞ムードに息を吹き込んだのが旧文部省の調査研究協力者会議座長で、東京工業大学教授でもあった清水康敬氏だ。コンピュータを使った「分かりやすい授業で、教室を変える」ために、死力を尽くす。その意気込みは、IT業界を巻き込み、現在でも目を見張るものがある。
コンピュータ整備「格段の遅れ」。国力低下が心配
──学校の「教育の情報化」が国レベルで開始されて、約10年以上が経ちました。その間の「教育の情報化」の経緯や現状をどう捉えていますか。
清水 米国や英国をはじめ、欧米各国や韓国、マレーシアなどと比較すると、日本は「格段に遅れている」と実感しています。その理由としてはまず、学校の先生がコンピュータやインターネットなど情報機器の利用方法を習得した上で、子供たちにしっかりと基礎・基本を指導できる環境に乏しい点があります。日本では特別教室の「コンピュータ室」に行けば、一応コンピュータを使える環境にあります。しかし、欧米など先進国では、通常の授業を行う普通教室にコンピュータが導入されており、生徒の利用範囲が広がっています。また、先生が常時、コンピュータを利用できる環境があるので、その意義は非常に大きいです。だが、日本は先進国に比べ普通教室へのコンピュータ導入が低く、遅れを取りました。
この「教育の情報化」の遅れが、ひいては(先進国に比べ)子供達の「デジタル・デバイド」(情報利用能力格差)を招く可能性があります。将来、子供達は今以上にIT化が進んだ社会で生き抜かなければなりません。現在の環境で教育を受け続け、その流れに乗れない子供達は、情報格差を目の当たりにするでしょう。これは、国全体で考えると、「国力低下」にほかならないのです。英国の調査では、ITを利用した授業を受けている子供達の方が、受けていない子供達よりも学力が向上しているという統計もあるほどです。
──徐々にその「遅れ」を取り戻す取り組みも始まっているようですが。
清水 現在、政府のe-Japan戦略で2005年度までに全国約44万教室にLAN整備を進めていますが、これまでに整備が完了しているのは、わずか20.6%(02年5月末現在)と低い数字が出ています。情報化に関する予算は、地方交付税で措置されていますが、「紐付き」でないため、こうした整備費に回らず、道路や建物に予算配分されてしまっているのが現状です。そこで私は、85年に旧文部省で情報教育の方向性を探る調査研究協力者会議の座長をしていた時、学校教育の指導バイブルである「学習指導要領」に情報教育を盛り込むよう主張し、ついにそれが実現しました。高校には新しい教科として「情報科」(03年度から本格実施)が位置づけられたほどです。これにより、少しは学校や先生に危機感が生まれたと思っていますし、実際、最近の教員研修を見ていると、その変化を如実に感じます。
タブレットPCは潜在需要、IT業界に意識改革必要
──学校の「教育の情報化」は、00年のミレニアムプロジェクトで一種の「転機」を迎えました。
清水 コンピュータを使って「分かりやすい授業」を行うことが、このプロジェクトで全体の情報化戦略として明確化しました。昔と違い、今の子供達はメディアで育っています。だから、コンピュータに取り組む能力も高い。これを機に、昔の教育とは抜本的に変わって欲しいと願っています。ただ、先生には、「コンピュータを使って」授業をする意識がまだ強すぎます。そうではなくて、教科の一部分で効果の上がりそうな場面に、コンピュータを効率的に使う必要があります。テクノロジーにシフトしていてはダメなんです。
英国では、黒板に代わり「インタラクティブ・ホワイトボード」の普及率が全学校の約47%にも及んでいます。黒板で授業している感覚で、より効率的に授業を進めることができるツールとして、昨年あたりから爆発的に普及しました。コンピュータを使う授業というよりは、効率化を求めて、製品やテクノロジーが後から付いてきているイメージではないでしょうか。
その意味では、学校教育では、「タブレットPC」も大きな潜在需要がある製品だといえます。IT化が進んでいくとキーボードで文字を蕫書く﨟という作業が多くなってきます。そうなると作文など、本来学ぶべきものが低下し、漢字の読み書き能力も手書きで行うより劣ってしまいます。そのなかで、「タブレットPC」は手書きノートの延長として利用でき、このような懸念も取り除けます。
──一方、先生が求めるソフトウェアが学校にないという声もありますが。
清水 ソフトウェアでは、現場の先生が求めているものと、IT業界がつくっているものに大きな誤差が生じています。現在、販売されているソフトは、「生徒が使う」ものがほとんどです。先生が使うソフトはほとんどない。先生が授業を進める際に使う、より利便性の高いソフトが求められているのです。インターネットを利用して授業のための資料を集めるためには、通常の検索エンジンを使いますが、そんな時間は先生にはありません。授業の資料をピンポイントで探せるシステムなどが先生が求めるコンテンツの1つといえます。
──学校教育の情報化は今後、どんな進展を見せるのでしょうか。
清水 今後10年間のうちに、動画・ストリーミングが各教室で見られる環境が必須になると思います。10―15秒の動画を授業に盛り込むことで、子供たちの理解度や授業意欲は格段に上がります。そのためには、すべての学校のすべての教室で毎秒1・5メガビット以上出る高速回線の環境作りが急務となるでしょう。
──これに対して、IT業界のベンダーやシステムインテグレータが果たす役割は何ですか。
清水 学校の「教育の情報化」が成功するには、まずIT業界が(業績で)ハッピーでないとうまくいかない。そういう観点から見ると、日本は成功にはほど遠い。昨年8月、文部科学省は先生が望むコンテンツ開発の方針を示しました。IT業界は、これをもとに、もう1度考え直すべきです。先生が本当に必要としているアプリケーションをしっかりとメーカーが理解してつくって欲しいのです。
少しずつですが、国レベルでも教育情報ナショナルセンター(NICER)などで現在、現場の先生が望む教育ソフトの調査を行い、データを採って選定しています。まとまり次第公表するつもりです。また、学校側の教材購入の仕方も検討しています。ソフトウェア費は、学習教材としてCD-ROMを購入する品目が各学校予算に配分されていますが、ライセンス型やASP型の製品は、「形の見えない教材」として購入できない傾向があり、導入できていません。現状がこれではなかなか発展は厳しい。これについては現在、徐々に裾野を広げられるように取り組んでいる最中です。IT業界が学校現場に広く入ってこれるようにしていきたいのです。学校教育の情報化は、IT業界が盛り上がっていないと絶対に成功しません。業界と密接な連携を取りながら進めていかなければ成功しないのです。今後は、IT業界の新産業創出に大きく寄与するとともに、教育機関のIT化の遅れを縮めていきたいと思っています。
眼光紙背 ~取材を終えて~
教育関係のIT企業が主催する大規模な講演会には、文部官僚らと並び、必ずといえるほど、この人がいる。いまや、この人抜きで日本の「情報教育」は語れない、とさえ言える。
「教育は最大の特効薬」と言われるが、教育ITに関して、日本は諸外国に遅れを取った。「それだけに、将来の日本のITが不安だ」というのも頷ける。
もともとは、大学での研究を経て、企業人で蕫開発畑﨟を歩み、高層ビルにある「電波吸収体」を開発。だが開発者のイメージとは違い、明るい行動派だ。
この年末年始は、英国の学校や日本の文部科学省にあたる教育技能省を訪問。また1つ刺激を受けて帰国した。この人が動けば「山が動く」。ここで何かが変わるかもしれない。(吾)
プロフィール
清水 康敬
(しみず やすたか)1940年、長野県生まれ。64年3月、東京工業大学理工学部電気工学科卒業。66年3月、同大学大学院理工学研究科修士課程修了。同年4月、第二精工舎(現・セイコーインスツルメンツ)入社。85年2月、東京工業大学教育工学開発センター教授。94年4月、同大学教育工学開発センター長。01年4月、同大学名誉教授、国立教育政策研究所教育研究情報センター長、文部科学省メディア教育開発センター教授に就任。ミレニアムプロジェクトの「教育の情報化評価・助言会議」の座長を務めるなど、国・政府の審議委員で多数の要職に就いている。現在、日本教育工学会(JET)の会長も務める。
会社紹介
昔は学校が「文化の中心」だった。だが最近は、学校の情報化が周囲に比べ遅れ、その牙城が崩れた、といわれる。学校のコンピュータ導入は1980年代後半から、政府の肝いりでスタート。各学校に「コンピュータ室」を整備する目標は、約10年でほぼ達成された。だが、英語教育で広く普及した「LL教室」と同様に、「部屋はあっても使われない」状況が続いた。なぜか。
社会のIT化が猛烈な勢いで進展し、それに学校が追いつかなくなったほか、指導する先生のリテラシーが極度に遅れたためだ。今でもコンピュータ室を「無用の長物」と揶揄する先生がいるくらい蕫先生のコンピュータアレルギー﨟は根強かった。
これを打開したのが、80年後半、旧文部省が今後の情報教育を模索するために設置した調査研究協力者会議だ。この座長が清水氏である。清水氏は、情報教育を学習指導の指標である「学習指導要領」に盛り込むことを強力に主張。これが実現した。
この出来事がなければ、ミレニアムプロジェクトやe-Japan戦略で示されたインフラ整備の大胆な政策は実現しなかったともいえる。