過去の資産を「近代化」
──YDC自体は年商が70億円程度で、営業利益率が10%前後で推移しています。これは国内SIerのなかではとても利益率が高く、「優秀なベンダー」とみています。外からみていたのと中に入ってからでは、何か違っていましたか。
東 国内でサービスを扱うベンダーとして、営業利益率10%前後を維持している企業は、貴重な存在ですよ。サービスで利益をあげて再生産し、信頼されるベンダーになるには、やはり投資をする必要がある。その原資をきちんと叩き出すことは重要です。外からみていても、それはきちんとできていましたね。
一方、中に入ってみて、この会社のフォーカスは必ずしも間違っていないと思いました。「ミドルウェアを主体とした技術・サービス」が一つ。それから、「ERP(統合基幹業務システム)を中心とした基幹系の構築サービス」と「CADなどの製造業に特化したインダストリー・サービス」の三つのフレームです。
データベースやOS、ハードウェアは時代の流れでコモディティ化(日用品化)してきている。むしろ利用技術として重要になるのが、ミドルウェア以降。ここに対して過去から継続的にフォーカスしてきたベンダーとして、存在意義があります。だけど、「ただし」という注釈が付きます。いままでは、(システム開発の)「個別対応」が主体だったので、もったいないことをしていた。ある程度のフォーカスを定めていますが、私自身は、過去のノウハウを標準化したり、ソフトウェア・サービスをメニュー化・モジュール化・コンポーネント化し、外販力を高めていく動きがあってしかるべきと考えています。残念ながら、そこまでのアイデアやアクションには至っていないですね。
──「個別対応」なら、それぞれの企業の顧客満足度を高められますが、次のステージとして年商100億円を目指すと想定すれば、コンポーネント化して汎用的に売れるサービスをつくり、案件数を増やす必要があるということですね。
東 それが数字(業績)に示されている通りの状態なんでしょうね。IT業界ではいま、パラダイムシフトが起こっている。このままの状態に安住すれば、当社はしぼんでしまうと思います。
──先ほどおっしゃった「きちんとしたサービスを提供できるベンダー」という目標を具現化するためには、どんな手を打つのですか。
東 過去から現在にかけて、やっていることは正しいことなんですね。その成果を標準化・簡素化してメニューをつくり、マーケットと共有できる形で外販していくことです。技術やサービスモデルの革新は激しい。そのなかで通用するエッセンスを外に出すことはできるでしょう。
ただ、標準化したりするかというアイデアをどう導き出すかが問題。YDCにはそのヒントがあり、可能性を秘めている。そこに対し、投資をして新たな事業を展開するのではなく、いまあるモノやこれからやろうとしていることを、もう一歩先でマーケットと共有できるアクションがあれば、外販できるモノはたくさんあると考えています。
YDCの社長に就任してすぐ、各部門を回って社員に苦言を呈したのは、「今のSIerがやっていることは『非標準・個別見積り』だ」ということ。「クラウド/SaaS」とかいう方向に業界全体がサービスへ向かうなかで、この業態は変わっていません。この部分を革新しないといけないのですが、口で言うほど簡単ではありませんよ。
──御社は得意とする業種が一杯ありますよね。これを「横展開」したりして、生かさない手はないでしょう。
東 意外とこの会社は面白くて、某大手流通業のシステム開発から得たテンプレートなどがあるんですが、その価値を分かっていない。こうしたエッセンスがYDCには転がっているんです。
──つまり、「なるべくつくらない」システムをどう提供するか、ですね。
東 言い尽くされた議論ですが、企業がオープン化したのに日本では個別の作り込み(カスタマイズ)が多く発生していました。「つくらないモデル」という議論は、ここでもう一度展開しないといけない。日本もIT投資のコウストパフォーマンスをシビアにみられる時代になりましたから。いまYDC内にある蓄積してきた資産やノウハウを集約化・標準化するなどして、「新しい価値」をつくろうとしています。
──この1年間、何をしますか。
東 何でこのサイズの会社に移ったかというと、このサイズだから意味があるんです。自分の意志を形にするうえで、スピード感をつけられますよね。冒頭で申し上げたフォーカス3点と、過去のエッセンスを棚卸しすることに頭を使うことと、それをどうビジネスに結び付けるかでしょう。それで随分変わりますよ。
眼光紙背 ~取材を終えて~
日本オラクルで“長期政権”を築いた新宅正明・前社長の後釜には、当時副社長だった東裕二氏が就くものと思っていた。同社の内外に、こうした噂が流れていたからだ。
本人は記憶にないそうだが、記者は何度か日本オラクル時代に取材をし、そのつど“特ダネ”をいただいた。その時の印象は「この人がいれば、日本オラクルの取材はすべて事足りる」だ。複数部署の責任者を兼務していた人だけに当たり前だろうが、質問に対して明快な回答が即座に返ってきたからである。
次期社長と目された人物が中堅SIerに転身。今回のインタビューの収穫は、東社長が目指す構想は「次のIT業界の方向性を指し示している」ということだ。
日本のSIerは「つくり過ぎ」の感がある。あえて「なるべくつくらない」ことを掲げ、体制の整備を開始。YDCから何が発信されるのかウォッチし続けたい。(吾)
プロフィール
東 裕二
(ひがし ゆうじ)1955年1月生まれ、福岡県出身。80年3月、広島大学総合科学部を卒業。同年4月、日本NCRへ入社。88年には、日本ディジタルイクイップメント(DEC)に入社し、10年後の98年に日本オラクルへ転身した。2005年には同社の取締役副社長執行役員に就任。09年1月に同社を退社してワイ・ディ・シーの理事に着任。09年6月1日から現職。
会社紹介
ワイ・ディ・シー(YDC)の前身は1972年に中立系通信システムの構築を目指して設立されたディジタルコンピュータ。81年には、日本のベンダーで初めて米オラクルのデータベース「Oracle DB」の販売を開始。84年、横河電気、横河エンジニアリングサービスの共同出資でユーシステムに変更。2000年には横河グループから営業権と経営資産を譲渡され、グループ内だけでなく外販も行う現在のYDCが誕生した。08年度(09年3月期)の売上高は68億円、営業利益が5億7000万円。