ロシアのセキュリティベンダー「Kaspersky Lab」の日本法人、カスペルスキーラブスジャパンは、2005年に国内で本格的にビジネスをスタートさせた。エンジンのOEM供給で大手ISPに採用されるなどの実績をあげ、07年には法人製品を本格展開すると同時にパートナープログラムを立ち上げた。現在はパートナーとの長期的な関係を構築するための施策を打つことにより、日本で安心して製品を売ることができる体制づくりに力を注いでいる。日本法人の川合林太郎社長に、ビジネス立ち上げの経緯や現在の施策、今後の方向性について聞いた。
日本法人設置、事業を立て直し
──カスペルスキーは、後発ながら国内での存在感が高まっています。日本法人・カスペルスキーラブスジャパンの社長就任の経緯やビジネスの成り立ちを聞かせてください。
川合 中学生の頃までロシアに住んでいたのですが、2度目に行ったのがペレストロイカ後の1992年です。モスクワ国立大学に留学し、通訳のアルバイトをしていました。日本でいうところの博士課程に在学している最中に住友商事から通訳の依頼を受けたのがきっかけで、住商の現地法人に3年間在籍しました。SEや営業補佐などをこなすうち、IT事業部に異動になり、ロシアの特殊な技術を日本メーカーに紹介する仕事に従事していました。一人の部下が先にカスペルスキーに転籍し、それを契機にカスペルスキーの日本でのビジネスを立ち上げて、求人の手伝いをしたりとか、カスペルスキーの事業自体を住商系列の会社に紹介する関係を、約半年間続けていました。その間に誘いを受け、2005年10月に日本法人に入社した経緯があります。
──日本法人に入社されて、最初の印象はいかがでしたか。
川合 ロシアでのシェアは8~9割で、コンピュータを使う人なら誰でも知っているくらい有名だったのですが、日本では立ち上げたばかりでカスペルスキーの「カ」の字も知られていない状況でした。正直、最初にオフィスに足を踏み入れたときは驚きました。ほかの会社のフロアに間借りして、机が4脚くらい並べてあって、細々と何かやっている状況だったので、「これではなんぼ求人かけても、人は来ないわ」と感じたし、「この会社の製品は誰も使わないだろう」とも思ったりしました(笑)。
──想像を超える光景を目にされたのですね。当時の日本を、ロシア本部はどの程度重要視していたとみますか。
川合 そもそも、立ち上げの契機が成り行きに近かった。日本にはかつて、「日本カスペルスキーラボ」という会社がありました。これはいわゆる「フランチャイズ」でした。当時のカスペルスキーは、各国の会社とフランチャイズ契約して製品を展開することが多かった。日本では、結局うまくいきませんでした。
日本は、IT市場規模でみれば実は世界第2位。フランチャイズでは管理ができないということで、本部の意向で資本を入れて、日本法人を設立することになりました。事業を拡大する足場はあったので、その頃には、本部の目も日本に向いていました。2005年にはソフトウェアの輸入、製造、販売などを行うライフボートさんとコンシューマ向けのパッケージで提携し、販売していくことになりました。これを契機に、UNIX中心の事業を、世の中のメインであるWindowsにシフトしました。
──それまでパートナープログラムとして明確なものがなかったとのことですが、パートナープログラムを開始されたのはいつごろですか。
川合 最初は販売契約だったので、製品を出すたびに契約書を交わしていたのですが、包括的な代理店契約に移行していただきました。プログラムを開始したのは法人向け製品「Kaspersky Open Space Security」が世に出た07年6月ごろです。きちんとした価格表をつくり、ライセンスの取扱説明資料を提示し、代理店さんにとって扱いやすく、売りやすい製品をこのときから提供し始めました。09年4月に刷新したパートナープログラムでは、パートナーの特性ごとに四つにカテゴリ分けし、具体的な支援メニューを拡充しました。先のプログラムリリース時にも、共同販売、共同プロモーション自体は走り出していたのですが、その内容を明示的にプログラムに組み込んだのが09年のことです。OEMを含めたエンジンの提供ビジネスが結構あったのですが、製品そのものの販売を強化したり、ユーザーにお届けするためのチャネルを拡充するため、09年に刷新しました。
日本法人は、販社に安心して売っていただき、ユーザーに安心して使っていただくことを担保するのが一番の役割です。
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