社会や世界につながっている
――大木会長は、何がきっかけで情報セキュリティーと関わりを持たれたのですか。
インターネットが登場する以前、企業のデータ通信はVANと呼ばれるネットワークを使っていました。当時、私は日本IBMでこのVAN事業を担当していたのです。企業間ネットワークを構築する過程で、セキュリティーもしっかり担保しなければと、セキュリティーのコンサルティング事業の立ち上げに参加することになりました。これが私がセキュリティーに本格的に関わるようになったきっかけです。
JSSMは1986年に設立され、個人情報保護の研究に着手していました。私は日本IBMのセキュリティーコンサルタントとして、JSSMをはじめ学会や研究会と接点を持ち始めていたときで、JSSMの学会員として正式に参加したのは90年代の初め頃だったと記憶しています。
――その後のインターネットの登場によって、外部からの攻撃が劇的に増え、セキュリティーの重要度が一般にも知られるようになったと。
そうです。業界が長い人は記憶に残っていると思いますが、米国の有名なハッカー(現ホワイトハッカー)のケビン・ミトニック氏のクラッキングは、当時、日本でも大きな話題になりました。これに前後して、欧州や米国でのデータ保護の動きが本格化しました。日本もシステム監査をしっかりやらないと欧米とのビジネスに支障が出かねない。JSSMとしてもシステム監査や個人情報保護のプロモーションに力を注ぎ、主要な役割を果たしてきたと自負しています。
――データが莫大な富を生み出すようになり、セキュリティーと企業経営は一段と密接になってきたということですね。
技術的な意味でのセキュリティーも大切ですが、データ活用は社会の合意形成も同じくらいに重要となっています。システム構築を手掛けるSIerは、顧客企業のビジネスの先にエンドユーザーがいて、さらに社会や世界につながっていることを、いま一度、心に留め置くことが求められます。活用の枠組みや線引きは常に変化していますので、より多くのIT業界の方々に、ぜひともJSSMに参加してもらい、ともに勉強して、社会に広く情報発信していければと希望しています。
Favorite Goods
趣味の将棋を通じて手にした「心想事成」の文字が入った扇子。「心に刻んで、ずっとそのことを想い続けていれば、必ず事を成し遂げられる」という意味。仕事で壁に突き当たったときも、この言葉を思い起こして自らを奮い立たせている。
眼光紙背 ~取材を終えて~
技術の進化と社会の合意形成の両方に理解を
データから莫大な富を生み出すことが可能である一方、その利用に当たっては社会全体の合意形成が欠かせない。ユーザーや社会が納得しないかたちでデータを活用しようとすれば、ユーザーからの反感を買ったり、社会の混乱を招きかねないからだ。
その一方で、データ活用を目的とした企業システムの構築を担うSEにとって、技術的な文脈での情報セキュリティーの知識だけでは十分ではなくなってきた。技術と社会的な合意形成の両方に精通する必要がある。その仕組みでユーザーが納得し、安心・安全な社会づくりに役に立ち、受け入れられるかどうかの広い視野を持つ「アーキテクトが重要な役割を果たす」と、大木榮二郎会長は話す。
会長自身もセキュリティーを専門とするコンサルタント時代、声をかけてもらった仕事は、実入りの多寡に関係なく、「できる限り請ける」ことで視野を広げてきた。さまざまな業種ユーザーや学術界、行政の人たちと積極的に交流することで、「アーキテクトとしての知見を養える」ことを実感。相手のためを思って仕事をすることが、巡り巡って自分の視野を広げ、次世代ビジネスへの道を開く。
プロフィール
大木榮二郎
(おおき えいじろう)
1947年、大分県生まれ。70年、九州工業大学電子工学科卒業。同年、日本IBM入社。日本IBMにおいてセキュリティー・コンサルティングの分野を確立。IBMディスティングイッシュト・エンジニア、IBMアカデミー会員、IBCSチーフセキュリティ・オフィサーを経て、2006年、工学院大学情報学部教授。情報学部長、学長補佐、常務理事を歴任。18年7月、日本セキュリティ・マネジメント学会会長に就任。工学院大学名誉教授。
会社紹介
1986年設立。学術界と産業界の両面から研究を行い、高度情報化社会の発展に役立てている。「学会」ではあるが、学術界だけでなく、広く実務家も集い、互いの専門性を尊重しつつ、新たな理論や方法論を発展させる場を提供しているのが特徴だ。