ソフトウェア協会(SAJ)の会長が6月に交代し、さくらインターネットの田中邦裕社長が新会長に就いた。旧態依然とした業界構造などの課題が山積する中、国内のソフトウェア関連団体で最大級の組織のトップとして改革を進め、業界の発展につなげていく考えだ。とくに注力するのはデジタル前提の社会の実現で、「デジタルは日本を変える」と力を込める。
(取材・文/齋藤秀平 写真/大星直輝)
世の中の変化を捉えた人事
――6月8日付で会長に就任しました。今の率直な気持ちを聞かせてください。
協会は歴史のある団体ですし、会長が20歳若返るということで、非常に身の引き締まる思いです。これまでは公認会計士出身の会長が4代続き、主にパッケージソフトの開発を中心とする企業の方が会長を務めてきました。荻原(紀男)前会長(現名誉会長・理事)は、どちらかというとアジャイル系の新しい開発に取り組んでおり、そこからクラウドサービスを提供する企業の代表である私が会長となりましたので、今、世の中で起こっているデジタル化に向けた変化をまさしく捉えたような人事になっていると感じています。
――会長に就任した経緯を教えてください。
2019年秋に、旧コンピュータソフトウェア協会の今後について話し合うミーティングに参加しました。その際、将来についていろいろと語る中で、荻原前会長から「次期会長をやってみないか」とのお話をいただきました。それからは、お会いした際に毎回、荻原前会長から「田中さん、(会長を)やってね」と言われるようになりました。振り返ってみると、このミーティングで将来のビジョンを決めていく中で、中心的な役割を担わせていただいたことが、会長指名のきっかけになったと考えています。
――会長就任前は筆頭副会長を務めていました。その立場から組織はどのように見えていましたか。
当時からベテランと若手の両方を役員に登用する方針が明確になっていましたので、私のスタイルに近いと感じていました。若手だけ集まっても影響力を及ぼせないですし、逆にベテランだけだと新しい成長性を獲得できなくなります。協会はうまくベテランと若手の両方が活躍している組織になっており、これこそが日本の目指すべきところだろうと思っていました。具体例を挙げると、ソフトウェアのソースコードをホスティングするクラウドサービス「GitHub」の使い方にしても、もっと規制を強化するべきではないかとの議論が出たとき、協会として、むやみやたらと制限するのはよくないと発信しました。エンジニアや若い人の感覚に近い発信ができるようになったのは、荻原前会長の運営の結果です。
――SAJが他の団体と違う点はどこにあると考えていますか。
現場を知らずに、エンジニアや経営者、ベテラン、若手が感じていることを無視して机上で設計したとしても、物事は進みません。協会は、創業者や2代目、3代目といった、いわゆるオーナーシップを持った経営者の割合が多く、これがほかの団体とは大きく違う点になっています。比較的中長期の視点を持ち、かつ現場へのコミット力も強いのが会員の特徴で、そういった人たち全員が活躍できる組織づくりをこれまで進めてきたことは、協会のアイデンティティになっています。
クラウドの振興が課題を解決
――IT業界の課題についてはどのように認識されていますか。
まず業界の構造が変わりきっていないことが課題だと認識しています。例えば、兵庫県尼崎市で起きたUSBメモリの紛失は、業界が抱えるたくさんの問題を内包しています。20年以上、随意契約で同じ業者が受注し続けて、業者に丸投げしていた市は全く状況を把握していませんでした。さらに、下請け、孫請けといった多重請負に頼らざるを得なかったことが見えたほか、安全性の低い旧世代型のアーキテクチャーであるUSBメモリを使っていたことも露呈しました。
システム開発の構造にも課題があると考えています。数億円、数十億円などと多額のコストをかけてシステムをつくらないといけないので、コスト効率は悪いです。つくって納品となった後は放置されてどんどん使いにくくなり、結果として「ITは高い割にすごく分かりにくい」とか「使いにくくて危ないものだ」との認識が広がっています。
あとはITを使えない人はどうするのという議論があります。99.8%の人が使えても、残りの0.2%の人が使えなかったら、ハイブリッド環境にしようという話になりますが、ハイブリッド環境はIT企業にとっては最も大変な状況です。使えない人を使えるようにサポートしていくことが本来は重要なのに、あえて使えない人の「デジタルを強要するのはよくないのではないか」との意見がまかり通っていることも、非常に課題意識を持っています。
――課題を解決するためには何が必要だとお考えですか。
一つはクラウドサービスだと考えています。これまでの納品中心のビジネスに陥っている既存のIT企業も、受託開発でビジネスを握るのではなく、クラウド型のビジネスに転換し、ほかのIT企業とともに稼いでいくのが、あるべき姿だと思っています。クラウドサービスを提供して日本の生産性を高めていけば、IT市場は広がり、スタートアップ企業や、これまでパッケージソフトを開発していた企業も参入できるようになることが期待できます。協会としては、こうした方向に向けてしっかりと政府や関係省庁に提言するとともに、各企業を応援していきます。
システム的な対応などで、IT企業が納品中心のビジネスを続けていることはもちろん課題ですが、とにかく社会がデジタル前提になっていないことにも強い問題意識を持っています。法律は6000本以上がデジタル前提ではないといわれていますし、それに加えて商慣習も、人々の考え方も、すべてがデジタル前提になっていないことは、しっかりと解決していかなければなりません。
クリエイティビティを生かせる業界に
――デジタル前提の社会をつくる上で、現状の認識を説明してください。
約30年前のインターネットの登場によってIT革命が起こりましたが、日本はその果実を十分に受け取れていません。つまり、日本はデジタルを前提に社会を組み替えていないことで、これまで変わっていない状況になっています。デジタルリテラシーが低いために、産業の競争力は低くなっていますし、日本のデジタル化は、諸外国と比較するとマイナスのところにあるとみています。
――厳しいご意見ですが、日本は変わっていけるのでしょうか。
ものづくり大国と言われているように、日本はポテンシャルがあるので、マイナスがゼロになっただけでも上がり幅は大きいでしょう。既存の強みがなくなる可能性があるため、デジタルを嫌がる人たちもいますが、儲かるようになれば、取り組まない手はありません。それが国全体に浸透していけば、産業の競争力を復活させ、さらに高めていくことができるはずです。若い人に力を与えられていないことなどが取り沙汰されていますが、デジタルは本当に日本を変える力があると思っています。このままだと取り返しのつかないことになりかねないので、協会としてはデジタルによって全産業を振興させることを大きなテーマの一つと捉えており、話題になっているDXの実現が非常に重要だと考えています。
――最後に今後の抱負をお願いします。
ITにかかわる仕事は、元々は楽しいものだったはずです。しかし、いつの間にかクリエイティビティ(創造性)を生かせないようになっているのは非常に残念なことだと思っています。なので、クリエイティビティではなく、時間に拘束されて、人月という単位で仕事を評価する仕組みは変えないといけないと考えています。サービスやプロダクトには、一人一人の力が宿ると思っていますから、この業界に夢を持って入ってきてくれた人が楽しく仕事ができて、その結果、開発したソフトウェアが、たくさんの人に価値を届けるようになればいいと思っています。そういうことが当たり前に語られるような社会になって、ITやデジタルの分野がもっと尊重されるような状況をつくっていきたいです。
眼光紙背 ~取材を終えて~
今までは筆頭副会長として会長を補佐していたが、6月からは会長として組織を引っ張る立場になった。しかし、現場を大事にする姿勢は変わらない。根底には、約20年前の原体験がある。
起業して間もない頃、資金が尽きかけ、PCの修理を請け負って食いつないでいた。ある案件では、予定していた時間より早く作業が完了した。喜んでもらえるかと思いきや、代金を値切られ、「こんな業界は嫌だ」と悔しい思いをしたことを覚えている。
ソフトウェアには著作権があり、「アーティストがつくった作品と同じ」と語る。だからこそ、時間ではなく、提供した成果物の価値をしっかりと評価するべきだと主張する。
座右の銘は「思い立ったが吉日」。やらずに後悔するくらいならば、やって失敗したほうがましと考えている。世間はコロナ禍を機にDXの実現に向けて大きく動いている。協会の仲間と力を合わせ、山積する業界の課題解決にまい進する。
プロフィール
田中邦裕
(たなか くにひろ)
1978年1月、大阪府生まれ。舞鶴高等専門学校在学中の96年にレンタルサーバー事業を開始。99年8月、さくらインターネットを設立。2016年6月、旧コンピュータソフトウェア協会の理事に就任。副会長とソフトウェア協会の筆頭副会長を歴任し、今年6月から現職。現在は沖縄県に在住。
会社紹介
【ソフトウェア協会】1982年に日本パソコンソフトウェア協会として活動を開始。86年に日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会(JPSA)として社団法人化。2006年に一般社団法人コンピュータソフトウェア協会(CSAJ)に名称を変更。21年7月に一般社団法人ソフトウェア協会(SAJ)に名称を変更。会員数は22年3月時点で700を突破。