統合型人事システムを提供するjinjerは、HR領域の製品をフルラインアップでそろえ、さらに全てのシステムのデータベース(DB)が単一であるという点を強みに成長を続けている。冨永健社長CEOは「一つのDBならば、経営者は人事に関するさまざまな情報を自由に切り取り、分析できる。『今までできなかったこと』を可能にするプロダクトの価値を伝えていく」と意気込み、パートナーとの連携をさらに強めて、HRSaaS業界でのトップ層を目指す気構えだ。
(取材・文/下澤 悠 写真/大星直輝)
「全てがつながる強み」に市場が気づいた
――以前は米Zendesk(ゼンデスク)日本法人で企業のカスタマーエクスペリエンス(CX)向上に尽力していました。経験をどう生かしていますか。
ゼンデスクはカスタマーサポートツールを提供する企業ですが「まずお客様をサポートする従業員が幸せでないと、お客様に幸せを届けられない」という考え方が浸透しており、私自身も共感していました。jinjerでも同様に、まず従業員が幸せであり、プロダクトの良さをきちんと理解して製品に対する愛を持っていなければ、製品の魅力はお客様に伝わりません。価値を届けられる活躍をしてもらうため、前職の考え方が非常に役立っています。
――jinjerはどのような企業だと捉えていますか。
入社して感じているのは、社員の熱量や突破力が強いということです。当社は人材サービス企業の一事業部門から始まっています。母体となった企業が営業力を中心として成長した会社であり、それが当社にも受け継がれています。しっかりと新卒を育てる文化が残り、「上司と部下」というよりも「先輩と後輩」とも言える雰囲気の中、「相手のチームに勝つぞ」という部活動のような勢いが感じられます。これが熱量や突破力につながっているのでしょう。
プロダクト面に関して言えば、一般的にHRSaaSの各社は、勤怠管理や給与計算、タレントマネジメントなど特定のニーズに応じて、それぞれが特徴のある製品を提供しています。一方でわれわれは、1社でほぼフルラインアップでHRに求められるシステムを販売してきました。これが今の時代にマッチしていると考えています。例えば勤怠管理のシステムで打刻や残業、有給休暇の取得に関するデータを集めたとして、結局のところ、給与システムに流し込んで、残業代を支払うなどするわけで、別々のプロダクトにする必要はありません。「全てがつながっていることの強み」に市場が気づきつつあります。
別々のDBでは意思決定に生かせない
――フルラインアップが強みとなる一方で、HRSaaSの各社もマルチプロダクト化を進めています。差別化のポイントは何でしょうか。
われわれは、ノウハウやお客様の声を受けてフルラインアップの製品を改善してきた歴史があり、(機能ごとのプロダクトを提供する競合が)一朝一夕に新しい機能を追加しても、追いつけないはずです。今の時代に合わせようと思って急いで新製品を用意しようとすると、OEMで製品の外側だけ変えて売ったり、別の会社を買収したりするパターンが多いですが、DBはばらばらなままで統合できません。多額の資金をかけて開発すれば統合できるのかもしれませんが、経済的な合理性に欠けます。われわれは一番初めの製品を生み出したときから単一DBを貫いており、これが最大の差別化ポイントになります。
――単一のDBは、顧客にとってどのようなメリットがありますか。
DBが別々の場合、それぞれをつなぐには同期が必要ですが、例えば同期のペースが週に1回なら、直近1週間以内に入社した従業員の情報が、全てのシステムには反映されません。1日ごとでもやはり1日分のずれが出ますし、だからといって1時間ごとにしては、システムに負荷がかかります。一つ、二つのDBならともかく、勤怠に給与、エンゲージメントサーベイや福利厚生、ワークフローなど、多くのシステムを常に同期させるのはかなりの手間です。その結果、リアルタイムなデータを活用しようにも、これが最新のものか分からないといったことが起きるのです。また、SaaSはアップデートが頻繁に行われるのでデータのフォーマットが時折変わります。突然同期が取れなくなり、業者に頼むなどして再度同期できるまでの時間もかかります。このように同期の観点だけでも結構な課題があります。
そして、DBが単一でない場合、経年で情報を管理するのが難しくなります。例えば、あるシステムは3日ごと、別のシステムは毎日、さらに別のシステムは年1回データを更新しているとします。それぞれで更新のタイミングがずれていると、特定の時点における正確なデータをそろえることが難しくなります。「前年の8月時点で冨永さんは何部にいて、その時の評価や勤怠状況、ストレスチェックの点数はどうだったか」などと確認しようとしても、(データを更新したタイミングを考慮しなければならず)すぐにさかのぼることが困難なのです。そうすると、意思決定のために社員の給与やインセンティブなどの推移を動的に分析しようとしても難しいでしょう。DBが一つであることの価値は簡単には言い表せませんが、DBが別々のままではしたいことがほとんどできないという事実に、すぐに気がつくことになるかと思います。
価値に共感してくれるパートナー求める
――25年12月に販売パートナープログラムを開始しました。
従来はほぼ直販でビジネス展開してきましたが、お客様にジンジャーの良さを届けるには、100人ほどの営業部隊だけでは足りなくなっています。またHR領域では、どの企業も同じような機能を提供しているので、細かい機能での差別化はできなくなり、お客様への届け方がだんだん複雑になっています。すでに顧客とリレーションのあるパートナー経由で、お客様やその業界にとって分かりやすい伝え方で価値を届けてもらいたいという発想が生まれてきました。
当社製品の価値をきちんと理解して共感し、正しく伝えてくれるパートナーを見つける必要があり、他方で「正しく伝える」ためには時間と手間がかかるので、パートナーにとって充実したプログラムでなければいけないと考えています。経済的な意味でも魅力ある仕組みを整えましたし、営業教育やマーケティング用のマテリアル、パートナーとエンドユーザー双方に対するメーカーとしてのサポート体制をしっかり整備しています。数を求めるのではなく、ひざ詰めで議論しながら一緒に動いてくれるパートナーを求めています。
――28会計年度のARR(年間経常収益)で200億円を目指すとしています。
今のHRSaaS業界は、まさに合従連衡が始まっています。大きな会社ほど自社に足りないパーツをどんどん買収しており、規模の経済も働いてきますので、やはり市場でしっかりと地に足をつけて立つには業界でトップ3ぐらいに残らないといけません。それより小さい規模にとどまってしまえば、われわれの価値がお客様に届きません。その位置を追い求めていくという意味で200億円という一つの指標を提示しました。HRテック市場はだいたい28年に約3900億円規模になると言われており、その中で確固たる地位を築き上げていくことが重要だと考えています。
――今後力を入れたい取り組みはありますか。
SaaSベンダーとして、AIとどう付き合っていくかをお客様に提示していく必要があると思っています。AIを活用して業務を行う上で結果の優劣を決めるのは、AIモデルの性能だけではなく、AIに流し込むデータの品質が大きく関わります。AIに流すためのデータプラットフォームが整備されていなければ、どれだけ優秀なAIを使っても良い回答は生まれません。単一のDBにきれいなデータを集約し、AIに与える。もちろん、セキュリティーも確保します。そういった基盤を提供する姿勢を伝えることに注力したいです。加えて、単一のDBでは、データに対するアクセス権限が設定しやすいと考えます。10年前にこのサービスを始めた際は、AI時代の到来を想像していたわけではないでしょうが、AI時代が訪れ、単一DBに取り組んでいて本当に良かったと感じています。
今後はAIが得意とする自動化や、大量のデータの分析といったAIを活用する機能も実装していきます。過去の膨大なデータを参照して、離職の兆候がある社員への声掛けを勧めるなど、人事担当者だけでは難しいことがAIの支援によって可能になるでしょう。
眼光紙背 ~取材を終えて~
以前日本法人の社長を務めたゼンデスクは、カスタマーサポート領域の企業が次々に買収され淘汰される中で競争に打ち勝ってきた企業だと振り返る。市場で生き残った要因として、単一機能に特化したプロダクトの提供からCXの向上に寄与するプラットフォームへの進化を挙げる。その経験から、「HRSaaS業界も同じような変遷をたどる。今がその統合化のタイミングだろう」とみる。
業界トップ層を目指して営業人材の育成やパートナー網の強化にAI活用など、約束した取材時間いっぱいまで考えを語ってくれた姿からは、自社の強みである「熱量」を大いに感じた。業界の勢力図に今後も注目したい。
プロフィール
冨永 健
(とみなが けん)
米Cisco Systems(シスコシステムズ)日本法人、アマゾン・ウェブ・サービス・ジャパン、米Dell Technologies(デル・テクノロジーズ)日本法人などで勤務。2021年、米Zendesk(ゼンデスク)日本法人で社長を務め、日本市場におけるビジネス全体の統括、カスタマーエクスペリエンスの向上に尽力。25年5月から現職。
会社紹介
【jinjer】人材サービス企業の一部門として2016年に事業を開始し、21年に独立。24年に投資ファンド2社が共同で全株式を取得し、経営陣を刷新した。従業員数は509人(25年5月時点)。統合型人事システム「ジンジャー」を提供し、人事労務、勤怠管理、給与計算、人事評価のほか、サーベイ、データ分析などの業務管理機能をそろえる。