製造や金融、ITなどの国内大手44社が出資し、「国産AI」を開発するNoetra(ノエトラ)が始動した。フィジカルAIを日本の勝ち筋と捉え、空間認識・物理特性の理解など、実世界での活用を前提とした能力を持つモデルの開発に挑む。トップにはソフトバンク出身の丹波廣寅氏が就いた。国内の人材と計算資源を結集し、「世界トップレベルのモデルを目指す」と意気込む丹波社長に、戦略と展望を聞いた。
(取材・文/日高彰、春菜孝明 撮影/大星直輝)
フィジカルAIで世界を上回る
──国産AIの開発を目的に立ち上がった会社ですが、国産のAIモデルをつくる意義を教えてください。
“国産”の言葉の捉え方は人によってさまざまですが、私たちが目指しているのは、日本のユーザーが本来持たないといけない主権が組み入れられたAIモデルです。
日本のAIユーザーの多くは企業も個人も、米国企業が提供するクローズドなモデルや、中国企業主導で開発されたオープンなモデルを使っていますが、利用条件やカスタマイズについて日本側で十分にコントロールできていません。つまり、日本の経済活動が海外のAIモデルに依存しており、海外企業の判断で提供停止や性能の制限が起きる恐れがある状態です。「どのモデルをどの国に使わせてあげるか」が国家間の交渉カードにもなりかねません。そうならないためにも、日本側が主権を持って利用できるモデルを用意する必要があります。交渉に負けないくらい良いモデルが、国内に選択肢として存在することが必要なのです。
──米中のモデルは規模や性能でユーザーから選ばれていますが、NoetraのAIは何を強みにしますか。
世界トップレベルを目指すことが必然となりますが、今までAIの進化の中心だったLLM(大規模言語モデル)の分野は、キャッチアップ戦略で追いつきます。そして、われわれが世界に伍する、もしくは上を行く分野は、フィジカルAIです。まだ勝者が決まっていない「実世界モデル」をターゲットにしています。
ロードマップとしては、2026年度は言語モデルを開発しており、27年度以降にはフィジカルAIに必要なビジュアル(視覚)系の機能を追加します。さらに、「ワールドモデル」(実世界モデル)に発展させる際には、地理空間や時系列の情報を扱う機能を足すことになります。開発は単年度ごとに区切って違うモデルをつくるということではなく、ベースとなるモデルに対して必要な機能を順次追加する考え方で進めています。
技術者が自分の頭の中だけで考えたものをつくるのではなく、実際にAIを使おうとしている現場が何を求めているのかを聞き、開発に反映する必要があります。そのため、現在はユーザーヒアリングを重ねています。対象領域については、日本の産業が持つ強みを踏まえ、製造業や産業用ロボットをキーワードにしたフィジカルAIを中核テーマに据えています。
7月に事業を開始し、賛同いただいた株主や参画企業などから約100人が携わっています。AI用の計算資源については、必要になったからといってすぐに確保できる状況ではないため、年単位で先を見据えて計画しています。現在はソフトバンクとさくらインターネットのサーバーを中心に活用しています。物理的には別の場所に分かれているサーバー群を、一体のものとして使えるようにしています。
「強い現場」がある日本に勝算
──Noetraの事業は、経済産業省と新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が主導する「FRONTia(フロンティア)」に採択されていますね。
FRONTiaは、5年かけてAIモデルを開発するプロジェクトです。プロジェクトには2本の柱があり、Noetraが担う「開発枠」は、目標とするモデルを毎年つくっていきます。一方で、国の研究機関である産業技術総合研究所が中心となるのが「探究枠」です。今後必要になる技術や、AIの対象を新たな分野に広げる際の手法などを研究します。開発枠からは将来必要になる研究テーマを提示し、探究枠での研究成果のフィードバックを受けてアウトプットを出していくという体制です。
──FRONTiaの成果は公的な性質を帯びるものになると思いますが、収益事業としてのNoetraのビジネスについてはどのようにイメージすればよいのでしょうか。
開発したモデルを社会へ届け、さまざまな企業に使ってもらうには、モデルを動かす実行環境や、さまざまなフレームワークなども必要になります。FRONTiaの成果を実際に利用できるかたちにするため、FRONTiaの枠組みの外側でも社会実装に必要なものを開発し、提供するのが当社の役割です。
まだ決まっていないところもありますが、国から大部分の支援をいただいているので、各民間企業と競合するビジネスを展開するのは非常に難しいと思っています。その方たち(民間企業)と一緒に動けるような事業を選ばなければいけません。開発したAIモデルについては、広く多くの方に使っていただける公開方法を検討しています。
──フィジカルAIの開発にはどのような課題がありますか。
フィジカルAIを開発する上では、現在のLLMやTransformer(ディープラーニングのアーキテクチャー)で挑戦してきた延長線上にある技術と、全く新規に取り組むことが存在しています。LLMの開発は一定のレシピが見えていますが、フィジカルAIはおぼろげな状態です。試行錯誤を重ねることでゴールに近づけると考えています。
フィジカルAIの開発で難しいのは、以前から言われているように、AIのトレーニングに必要となるデータが圧倒的に少ないことです。LLMはインターネット上に膨大なデジタルデータがあったため、それが世の中の情報量の1~2割だったとしても十分に開発ができました。しかし、ロボットの動作を学習しようと思っても、使えるデータは圧倒的に少ないです。なので、タスクやテーマに応じたデータを探してくる、あるいはデータをつくるといったことから取り組む必要があります。
──世界中の企業がフィジカルAIに取り組んでいます。勝機はありますか。
日本の強みがフィジカルAIの世界で出せると考えています。フィジカルAIは机の上でプログラムを書いて終わりではなく、現場が必要になります。日本の工場は精緻な品質管理手法を採用し、ノウハウを積み重ねてきました。例えばデータを小数点第1位で管理するのと、小数点第3位まで管理するのとでは全く違うデータになるわけです。そういう意味で、日本は他と比べて強い製造業の現場を持っています。だからこそフィジカルAIが強くなり、それを適用する現場もさらに強くなる、良い循環をつくれると思います。
システム実装のパートナーが必要
──将来、一般企業がNoetraのモデルをシステム開発の基盤として活用する手段はあるのでしょうか。
当社が公開するモデルは、ユーザーがAIをつくるための“素(す)”のモデルとして使いやすい状態で出していきます。仮に実行環境をセットにして提供したとしても、自社でダウンロードしてすぐ活用できる企業は少ないでしょう。なので、用途に合わせてファインチューニングをしたり、既存の業務システムとインテグレーションしたりする役割を担う、パートナー企業を探していかなければいけないと考えています。
フィジカルAIの実装を国内のSIer各社が担う可能性はあると思います。例えば、工場のマネジメントシステムを手掛けてきたSIerであれば、その業務知識を生かして、フィジカルAIをどう活用するか考えることができます。産業用ロボットのメーカーやロボットSIerは、ロボットに求められる動作や、どのような設備に組み込むかといった知見を持っています。
──今後の事業への決意をお聞かせください。
モデルを広く利用してもらうには、公開後も維持、更新し、問題が起きた際に対応する必要があります。モデルをつくる責任、維持する責任、公開したものに対する責任まで負うことが、Noetraの役割です。
研究者は集まったが、誰が責任者かわからないような状態で、論文を発表して終わり、になってはいけません。だから、ソニーグループ、ソフトバンク、NEC、本田技研工業が責任を持つ意思を示し、民間企業としてNoetraを立ち上げました。研究開発を着実に進め、その成果を継続して社会へ届けます。
眼光紙背 ~取材を終えて~
生成AIを巡って語られる「国産」とは何を意味するのか。これまで釈然としない部分があったが、丹波社長の答えは明確だった。海外の特定の国や企業の判断に振り回されずに、日本企業が生成AIの「主権」を持つこと。そのための選択肢を自らの手でつくろうと、Noetraは歩み始めた。
SB Intuitionsで国産LLM「Sarashina」の開発を指揮してきた。そこで得た反省の一つが、国内企業が個別に人材や計算資源を確保するだけでは、世界トップ水準のモデルを生み出すのは難しいということだ。企業の垣根を越えてエンジニアが力を合わせる。各社が保有する計算基盤も束ねる。体制がようやく整った。
「大学の卒論のテーマはAIだった」という丹波社長。コンピューティングと通信の世界に長い間身を置きながら、巡り巡って原点に立ち返っている。日本のAIの未来が、その手腕に託されたと言っても過言ではない。
プロフィール
丹波廣寅
(たんば ひろのぶ)
2004年に英Vodafone(ボーダフォン)日本法人(現ソフトバンク)入社。コンシューマー向けサービス企画、法人向け企画、移動機検証・品質、商品企画・プログラムマネジメントに従事。商品戦略・企画・検証・技術検討を担う法人関連部門の本部長を歴任。SB Intuitions代表取締役社長兼CEOを経て、26年2月に日本AI基盤モデル開発(現Noetra)代表取締役社長に就任。ソフトバンク常務執行役員も務める。
会社紹介
【Noetra】生成AIの国産マルチモーダル基盤モデルの研究開発を目的に、国内44社が共同出資して発足。このうちソニーグループ、ソフトバンク、NEC、本田技研工業が中核企業となっている。設立日は2026年1月で、6月に現社名に変更。7月から事業を本格化した。