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NECの社長交代 構造改革の難しさを象徴

2003/01/27 19:09

週刊BCN 2003年01月27日vol.975掲載

 1月20日、NECは3月28日付で金杉明信専務が社長に昇格し、西垣浩司社長が代表取締役副会長に就任するトップ人事を発表した。西垣体制が2期4年の節目を迎えていたとはいえ、今回の交代劇の背景には、NEC“中興の祖”と言われ、昨年12月まで相談役だった関本忠弘氏と、現経営陣との対立激化を鎮める意味があったとの見方が強い。西垣社長が推し進めてきた急激な構造改革と、それが“破壊”と映る関本氏との確執。西垣社長がこの問題を長引かせることが、企業イメージの低下につながりかねないと判断したのは、想像に難くない。(佐相彰彦●取材/文)

企業イメージの低下に歯止め

■「全力で突っ走ってきた」、それが摩擦を生む

 「1999年3月26日の就任以来、2期4年を全力投球で突っ走ってきた」――。記者会見に臨んだ西垣氏は、冒頭こう切り出した。

 続けて、「少しオーバーラン気味だったこともあり、体調を崩してしまった。激務、激職を今後も気力をもって長くやるのは難しい」とも。交代の決断に至った経緯について、西垣社長は体調不良を理由の1つに挙げたが、確かに普段は恰幅良く見える西垣社長の姿が、この日はなぜか一回り小さく見えたのは印象的だった。

 西垣氏は99年春の社長就任からわずか数か月後、大幅な赤字に陥っていたDRAM事業を日立製作所と統合すると発表した。

 それまで熾烈な競争を繰り広げていたNECと日立が手を組むなど、当時は思いもよらなかっただけに、業界に与えた衝撃は大きかった。以来、電機大手の事業再編に火が点いた。

 NECも日立のみならず、東芝、三菱電機などのライバル各社と事業統合、アライアンス戦略を加速。その一方で、昨年春には今後の中核ドメインとして、コンピュータ事業などを手がけるソリューションズカンパニーと、通信機器などを手がけるネットワークスカンパニーの融合戦略を打ち出し、同時に半導体部門の分社化を発表した。

 これを受け昨年11月には、半導体事業をすべてNEC本体から切り離すに至った。西垣体制の最初の大仕事と、最後の大仕事がいずれも半導体であった点は妙な巡り合わせだ。

 西垣社長は、“NEC文化”を塗り替えるほどの大胆な経営改革を実施してきた。だが、「スピードを上げすぎて摩擦を生じた」(西垣社長)のも事実だ。NECでは昨年後半、当時相談役だった関本氏と現経営陣との間で、対立が激化。関本氏が相談役を解任されるなどの“騒動”に発展した。

■代表権のある副会長、西垣氏の権限は温存

 関本氏を巡る問題と今回の人事について西垣社長は、「突っ走ってしまう私の性格から、必ずしも関本氏と意見が合わなかったが、きちんと説明して理解してもらってきた。改革を急ぐ余りのことで、本人にもお詫びを申し上げている」と述べ、関本氏との確執が背景にあるのではとの見方を否定する。

 次期社長に内定した金杉専務は、00年4月からソリューションズカンパニーの社長を3年近く務めてきた経緯がある。就任にあたっては、「この3年間、カンパニー社長として色々経験してきた。ITとネットワークの融合という成長戦略に、今後全力で取り組んでいく」と語ったうえで、「どのような環境でも、自然体でベストを尽くす」と意気込む。だが、言葉は少なめだ。

 佐々木元会長は、「(金杉)社長がNEC本体の全執行責任をもち、(西垣)副会長がグループ全般の経営、(佐々木)会長が取締役会議長、株主総会議長を担う」と説明し、「NECグループのガバナンス(企業統治)確立には、この形が最も最適と判断した」と強調する。

 代表権のある副会長――。今後も、グループ経営の全般を指揮することになる西垣氏の、NECにおける権限は大きく変わらないと見ることもできる。むしろ、対外的には代表権をもつ役員のポストが増えたことになり、西垣氏が標榜するスピード経営に逆行する危険性もある。

 だが、“お家騒動”を抱えた企業イメージを払拭するには、この道が最善策だったのかもしれない。
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