アップルコンピュータが出版差し止めを要求して版元が撥ね付けた問題の新書「iCon(アイコン)」が間もなく発売になる。iConとはアップルのスティーブ・ジョブズCEO。会社復帰当時の肩書き「暫定CEO(iCEO)」に「アイコン(大物)」をかけた心憎いヨイショも、当の本人にとっては大分ありがた迷惑のようだ。

 世界140か所のアップル専門店の棚からテクノロジー関連の大手出版社ジョン・ウィリー&サンズの本が1冊残らずごっそり消えたのは4月中旬のこと。

 引き金はジョブズCEOの人生を描いた書籍「iCon-スティーブ・ジョブズ、ビジネス史上最高の第2幕」。この発売に関し、アップルは版元のウィリー&サンズに再三中止を要求したが、ウィリー側が出版の意思を曲げないことで苦り切り、最終的にウィリー&サンズの本の撤去に踏み切ったというわけだ。雑誌やテレビの内容で頭にきたクライアントが広告を打ち切る話はよくあるが、「おたくの本は1冊も置いてあげないよ」というのは初耳。

 「本の内容はいたってポジティブ。大分持ち上げているつもりなんだが」。アップルの対応に同書の共著者ジェフリー・ヤング氏は驚きを隠さない。

 本のなかで、ヤング氏は20年前に自らが手掛けた元祖ジョブズ伝(この中でジョブズは有能だが世間知に欠け賞賛に値しない嫌な男として描かれている)の内容を一新。起業家として一躍スターダムにのし上がったジョブズ氏が辞任後はNeXTの失敗を経てアップルに返り咲き、ピクサーでアニメ界に変革をもたらす一方でiMac、iPodと人気商品を送り出し見事に再生するまでの波乱万丈の人生をドキュメント形式で綴ったという。

 副題の「第2幕」は成功と挫折、どん底からのリターンマッチの意。「彼は失敗で非常に多くのことを学んだ」、「離婚やガンの闘病生活など私生活のことにも触れたが、どれも悪意のある内容ではない。当惑しているよ」とヤング氏はこぼす。

 アップルは情報と企業イメージのコントロールに対しとても敏感な会社だ。ことに未発表の製品情報については“秘密主義”が徹底している。その分ファンは張り切って噂に励むわけで、いわば“いたちごっこ”なのだが…。

 昨年暮れには社外秘情報をリークした疑いで社員とおぼしき25人を情報秘匿契約違反で訴え、さらに極秘情報をリークしたサイト3件を訴えて関与するジャーナリスト3人の身元割り出しのためプロバイダを召還した。

 後者についてはネットのジャーナリズムが報道機関としてどの程度まで権威、つまり言論・報道・表現の自由裁量が認められるかを問う非常に重大なケースとして米国で注目を集めており、地元紙なども報道の自由を支持する立場からの論陣を張っている。

 今回の出版騒動に対するウィリー&サンズの反応はどうかというと、書籍の“不売”運動という異常事態を受けて同社エグゼクティブのキット・アレン氏は、「アップルが本書の発売を好ましく思っていないことがはっきりした。それが当社のテクノロジー関連の出版物を置かないこととイコールであることもね。だが当然のことながらウィリーは著者たちの味方だ」(マーキュリー紙)と出版人魂を熱く語った。しかし、マック関連書籍で最も売れ筋の「サルにも分かるマック」がアップル専門店で販売されないことは少なからぬ痛手だろう。

 こんな本の出版を認めるわけにはいかない、停止のためには手段を厭わないというアップルの姿勢は一貫しているようで矛盾も孕む。つまり、突然店からウィリーの出版物が消えたことで異変に勘付いた消費者の多くが、全く買うつもりもなかったジョブズ本をすかさず買いに走るだろうということだ。「そこまでジョブズを怒らせた本なら嘘八百でもいいから読んでみたい」、無責任な一般消費者のこの衝動は今や最高潮に達している。

 ジョブズCEOにとっては「またこいつか」という20年来の受け入れ難いものがあるにせよ、気の毒なのは巻き込まれた人たち。サルでも分かるように頭を搾って書き上げたマック指南本がマックの隣で突然売れなくなった。罪なき外野の人たちには気の毒と言うしかない。(市村佐登美)