業務が落ち着いてくると、佐々木社長や社員は、僚友である市内のITベンダーを巡回し、「手伝えることはないか」と声をかけ始めた。ある程度巡回した時点で判断は、「実害はそれほどではない。むしろ風評被害が怖い」。そこで仙台のIT業界の復興状況を全国に知らせるために、Facebookファンページ「仙台のIT企業ファンページ」を立ち上げた。東北地方のITベンダーの多くは、首都圏をはじめとする大都市圏から収益を得ている。「仙台のITベンダーは稼働していない」との風評が広がれば、営業に影響が出て、復旧・復興どころか事業継続ができなくなってしまうのだ。

 佐々木社長は「これまで築いてきた信頼関係を壊したくなかった。そのために必死に対応した。マニュアルなんてない。偶然や幸運が重なっただけ」と、震災への対応を振り返る。仙台市内のITベンダーは、設備が破損するなど、物理的被害が多少あった程度。今度は、復旧・復興と自社の事業継続に向けて試練の道が続く。佐々木社長の行ったような震災への対応は、どのITベンダーも大なり小なり経験したことだろう。こうした経験が他の地域のITベンダーにも継承されるよう、記録はしっかりと残しておきたい。

IT業界に望まれる情報の受発信への支援

 4月14日、インタビューの後、佐々木社長のクルマで、津波の被害が甚大だった沿岸部へと向かった。最初に行った場所は、仙台市若林区の沿岸部。そこで見たものは、テレビで見たそれとは様相が異なる。仙台市中心部の実害は小さかったが、ここでは風景が一変する。海から1~2Kmの高速道路までの間は、家屋や公共施設など、すべての建物が破壊されている。被害の深刻さを改めて知った。自衛隊などの救援隊はいるが、まばら。被害がさらに甚大な地域から救援が進んでいるからか、ここにはまだ手が届いていない印象だ。

仙台市沿岸部の若林区。荒浜地区を中心に甚大な被害を受けた

 次に向かったのが、仙台市から車で1時間弱の石巻市だ。風景は、若林区のそれから一変する。石巻市の沿岸部は工業地帯で、漁港もある。海から1~2Kmは家屋が並ぶが、工業地帯の海から流出した異物が住宅地に流れ着き、家屋自体の損傷も激しい。何より、異臭がきつい。魚の臭いを数倍にして、石油などと海のヘドロが混ざったような臭い。否応なしにツーンと鼻を突き刺す感じで、息をすることができないほどだ。

日和山公園から見ると石巻市の被害の大きさがわかる

 石巻市をあとにしたわれわれは、テレビなどで報道されることの少ない雄勝半島の町々を回った。原子力発電所を抱える女川町では、標高20m程度の小高い丘にある病院の目の前まで波が来ていたことがわかる。クルマや家がビルの屋上に打ち上げられ、鉄筋コンクリートのビル数棟が波の勢いで横倒しになっていた。

ビルの上まで波が来ていたことがわかる(女川町)

防災無線で津波の襲来を伝え続けた南三陸町の防災対策庁舎

 西に向かうほど被害は大きくなる。最後に、壊滅が伝えられた南三陸町へ。南三陸町では、ほぼ全域に津波が押し寄せた痕跡があった。被害は町内全家屋の7割に及んでいるという。夕方の炊き出しが終わった頃、二つの避難所を回った。志津川小学校では、自治会の若き副会長と話ができた。聞けば、小高い丘に建つベイサイドアリーナという公共施設で、ボランティア団体がホームページなどを立ち上げ、近くの避難所で必要な物資などの情報を全国に発信しているという。こうした情報の受発信作業こそ、ボランティア団体に加えて、ITベンダー関係者が担えないものか。IT業界がいますぐにできること、すべきことを身近にみた。(谷畑良胤)

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