社内の雰囲気変わる

 「ストロボは瞬間的に相当の電力を必要とし、熱も発生する。超小型ストロボ自体はIXYのリソースを利用させてもらったが、電子回路の固まりであるデジタルカメラにその瞬間的起動がどのような影響を与えるか、あらゆる事態を想定しながら、実装していった」と茶谷雅彦室長は語る。

 実は、この実装技術というのは門外漢にはわかりにくい世界なのだが、実物を見せて説明してもらって「なるほど大変な世界なんだ」ということは実感できた。

 「とにかく部品を少なくし、基板もあまり増やさず、縦に置いたり、横に置いたりして小さいサイズの中に詰め込んだ。こうした結果、組み立て面では工数の減少につながり、量産を容易にした」という。

 シンプルでフラットな外観の裏には、とてつもない努力が隠されていたのである。

 その外観については、「質感、高級感を出すために、ステンレスを素材に採用した。これも好評な理由の1つだと思う」と中里副部長。

 こうした努力が実り、「試作機が完成したのは1999年秋口」(中里三武郎副部長)だった。「社内に見せて回ると、『これはいけそうだ』という雰囲気が急速に盛り上がっていった」(中里副部長)という。

 「私たちはIXYに挑戦するんだと公言して設計に取り組んでいたが、『なんだ、またかよ』という目で見られていた。それが、試作機を見せると『えっ』という感じで、みんな驚いてくれた」と茶谷室長は語る。

 「最初見て『あっ』と思った」1人が、キヤノン販売カメラマーケティング部デジタルカメラマーケティング課の森本一成課長である。

 「本当にIXY並みの小さなサイズ、ステンレス外装による高級感、これは相当にインパクトを与えるだろうなと思った。ただ、200万画素という点だけが気がかりだった」そうだ。

 当然であろう。世の中はすでに300万画素競争時代に突入していたからである。「それまでのデジカメ競争の焦点は画素数だけだったといってもよい。100万、200万画素をあっという間に通り過ぎ、300万、400万画素競争の時代に入りつつあった」のが、99年から00年にかけてのデジカメ業界だった。

 マーケティング側は一抹の不安を抱えつつも、価格をいくらにするか、販売目標をどのくらいに設定するかなど、マーケティング調査を繰り返した。

 「価格設定は、もちろん大議論になった。実売5万円を割るべきだという意見から、6万9800円でも十分いけるという意見まであった」そうだ。

 他社もそうだが、同社も主要な販売店に対し、事前のヒアリング調査を行っている。「守秘契約を結んでもらい、どのくらいなら売れるだろうという感触を得るのが目的だが、6万9800円なら当たるんじゃないのという声が多かった。それで7万4800円の設定に踏み切った」という。 (続く)