大航海時代

<大航海時代>第22篇●新しき勇者たちへ 第20話 コピーされてこそ「本物」

2002/02/11 16:18

週刊BCN 2002年02月11日vol.928掲載

 なぜ、長々と鉄斎の話を続けてきたかと言うと、いわば、鉄斎の仕事は今からのアントレプレナーたちのあり方を象徴しているからである。

水野博之 中小企業大学校 客員教授

 なぜ、長々と鉄斎の話を続けてきたかと言うと、いわば、鉄斎の仕事は今からのアントレプレナーたちのあり方を象徴しているからである。それは、鉄斎は鉄斎であって、鉄斎以外の何ものでもないということだ。だからこそ、人々は競って鉄斎を真似るのである。1つの模範なのだ。中国では古くから素晴らしいものをコピーすることから勉強を始めるという習慣がある。私も楊州の八怪の1人と言われる八大山人(1625-?)のコピーを1つもっているが、コピー自身としても古いもので、当然のことながらコピーなんてどこにも書いてない。サインから印までそれらしく押してある。大変よく描けていて、大好きな絵だ。

 それでなぜコピーかというと、理由は簡単で、大変安く手に入ったからだ。八大山人の絵がそんなに安いはずはない、ということだけからニセ物と断じているわけで、これも大した理由はにはならんだろう。鉄斎の場合と同じで、コピーマーケットが出来上がっているわけだ。そのつもりで鑑賞すればそれはそれで面白い。このように、本物には必ずといってよいほど二番煎じ、三番煎じが出るわけで、立派な茶は、何度も飲めるようなものだ。

 このような立場から、現在の日本の画壇をみると、無闇に高い値段がついてるけど、コピー市場のありそうなものは皆無と言っていい。いかにこのマーケットが一部の人々によって曲げられているかわかるだろう。はっきり言えば世界に通用するものになっていない、ということだ。これはまさに、現在の日本を象徴している。こう考えてくると、やっぱり、本物は本物。コピーされるような本物にならんといかんだろう。(神戸ハーバーランドにて)
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