大航海時代

<大航海時代>第22篇●新しき勇者たちへ 第38話 宮本武蔵

2002/06/24 16:18

週刊BCN 2002年06月24日vol.946掲載

 数日、熊本にいた。熊本と言えば熊本城、加藤清正、とくるが、熊本というのはそれだけではない。歴史的になかなか文化の香りの高い土地柄なのである。清正の後を継いだ細川家は初代藤孝を始めとして、武士と公卿の中間的な存在で、いわば文武両道という気風がこの地に定着した。その代表的な人物の1人が宮本武蔵である。武蔵は美作(今の兵庫県)の生まれであるから熊本とは何の関係もないのだが、この熊本の地の文武の香りを良しとしてこの地で大成していく。

 昔から、誰が一番強かったか、というのは皆、大変興味のあるところ。塚原朴伝、上泉秀綱、柳生兵庫之助などなど、剣豪小説の種には事欠かないが、文武両道ということになれば、武蔵が群れを抜くように思われる。それは「五輪之書」を読んでみればよくわかる。五輪というのは密教の言葉で宇宙をつくりあげている「気」のことである。いかにも武蔵らしいネーミングだ。この本はやはり、日本文学史の1ページを飾るに足るものであろう。熊本市の丘の上に武蔵が篭ったと言われる洞窟があって、ここで五輪之書は書かれたという。大体、書き出しからして凄まじい。自分はこの歳になるまで、幾度となく生死の戦いをしたが、一度と言えども負けたことがないと言うのである。

 なかなか、のっけからこんなふうに書くのは、いささか日本人の心情には向かないところがある。この点が武蔵は宣伝屋で刀は大したことはなかった、などと批判を受けるようになるのだか、これは批判する方がいじけている。俺の刀はどうだ、と語るのは西欧社会では当たり前のことで、あの社会では自己主張のない人間は奴隷並みになってしまう。武蔵はこの点でもきわめて異質の日本人であった。(熊本城にて)
  • 1