大航海時代

<大航海時代>第22篇●新しき勇者たちへ 第84話 力闘の後

2003/06/02 16:18

週刊BCN 2003年06月02日vol.992掲載

 トレビシックの奮闘はつづいた。4年後、彼はロンドンの博覧会で機関車を走らせたのだ。物見高いロンドンっ子は長い行列をつくって先を争ってトレビシックの客車に乗ったし、子供達はトレビシックの車と競争をして旗をふったのであった。こうしてトレビシックは現在の汽車の原型を完成させたのである。

水野博之 メガチップス取締役 起業総研相談役

 残念なことにトレビシックは余りにせっかちで夢を追いすぎた、というべきであろう。何でも革新にはこのことがつきまとうようで、最初の改革者は悲運のうちになくなり、次の時代の人間が成功と栄誉を手にする。トレビシックの場合も例外ではなかった。機関車が出来上がると、彼はこんどは別の夢を追い出したのである。

 こうして彼は、次々と見果てぬ夢を追い、25年の後に彼が死んだときは、棺桶を買う金もないほどの貧乏のドン底にあった。トレビシックは一生、夢と格闘したのである。あっぱれの人生というべきであろう。

 このようなトレビシックの力闘の後をうけて文字通り商業的に蒸気機関車を完成させたのが、G・スティーブンソン(1781-1848)である。恐らく皆さんは歴史の教科書のなかで簡単に(蒸気機関車はスティーブンソンが発明した)と習ったであろうが、それに至るまでにはトレビシックだけではない。まだまだ多くの人々がそれぞれに大小の貢献をしたのである。

 スティーブンソンもまた鉱夫の子として生まれた。彼は生まれつき機械いじりが好きであった。しかし、少年時代から働かされ最初は石炭の仕分け、ついで馬の担当になった。こうして彼の好奇心はワット・エンジンへと向いていった。彼はワット・エンジンの修理係となり、蒸気機関車への興味を深めていった。人間の営みというのはまことに不思議なもので、このように次々と用意されていた、としか思えない環境のなかに生まれるものだ。
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