大航海時代

<大航海時代>第22篇●新しき勇者たちへ 第85話 鉄道の建設へ

2003/06/09 16:18

週刊BCN 2003年06月09日vol.993掲載

水野博之 立命館大学客員教授

 スティーブンソンは小さいときから機械に異様な関心を示した。理由はよくわからない。当時、炭鉱はすでに巨大産業であったが、労力は人と馬に頼っていた。しかし生き者は労働力としては適切なものではない。したがって炭鉱では大小いろいろな仕掛けが用いられていた。その最たるものがワット・エンジンであった。

 しかし、当時の機械というのは1つひとつが手造りでよく故障した。石炭の選別工としてスタートしたスティーブンソンであったが、彼の驚くべき器用さはすぐに人々の認めるところとなり、機械の修理工へと抜擢された。彼はしょっちゅう機嫌が悪くなる蒸気機関を修理しながらその改良を志していくわけである。この点、彼の立場はすでに述べたワットのそれとよく似ている。ここにはニューコメン→ワット→スティーブンソンといったひとつの改良の歴史を見ることができるであろう。 特に彼の興味を引いたのはトレビシックの成功であった。移り気なトレビシックが自分の発明をほったらかして何処かへ行ってしまった後をうけて、スティーブンソンは蒸気機関車の改良を続け、1813年7月には“ブルーチャ号”という名の歴史に残る蒸気機関車をつくりあげたのであった。 これは重さが5トンもあり、合計30トンにもなる鉱石を積んでキリングワースの炭鉱のなかを走りまわったのである。30トンといえば、1トン車にして30台。とても人馬の力の及ぶところではない。

 当時は重い荷を運ぶには運河が利用されていたが、スティーブンソンはそのような社会の仕組み(文化)に挑戦したのである。彼はいっている。「私は、私のエンジンを使った鉄道のほうが運河よりはるかに効率がよいと信じている」そうして歴史は確実にその方向へと動き出したのであった。絶対君主による運河の開拓より資本家による鉄道の建設へと。
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