大航海時代

<大航海時代>第22篇●新しき勇者たちへ 第87話 常識と争う

2003/06/23 16:18

週刊BCN 2003年06月23日vol.995掲載

水野博之 広島県産業科学研究所所長

 スティーブンソンはトレビシックに比較すると大変な紳士であった。しかし、スティーブンソンといえども順風満帆というわけにはいかなかった。世の中はそう簡単には変わらないものだ。「新しいもの」はなかなか受け入れてはもらえない。それはそうであろう。何か新しいことをやろうとすれば、多かれ少なかれ、いまあるものと戦わなくてはならない。いまあるもの、というのは、現在の社会をつくりあげている既成の勢力である。彼等はそれで社会を牛耳り、飯を食っているのであるから、その秩序を乱そうというものに対しては当然迫害を加える。この構図は現在の社会でも一緒である。

 スティーブンソンの敵は多かった。ちょっと数えあげても馬主、運河をつくる人、運河を利用する人、などなど、当時の支配階級の人たちの多くは反対であった。特に困った連中は一部の評論家と呼ばれたインテリであった。当時の有力な雑誌「クォータリー・レビュー」はしたり顔に、「駅馬車より2倍も早く走る機関車と称する代物ほど馬鹿馬鹿しいものはない。恐ろしいスピードの機械に身をまかせるというのがよい、というのであれば、やがて我々は自分自身を大砲で打ち出されるようなことになるであろう」と評論したのである。

 何時の世にもわかったような顔をして愚にもつかぬことを得々と語る連中というのはいるものである。もっとも、この評論家もなかなかうまいこともいっている。「自分自身を大砲で打ち出す」なんて、全く荒唐無稽と信じられていたことが、現在では行われているのだから。だが、このことは「クォータリー・レビュー」の大評論家の不名誉にこそなれ、名誉にはならないであろう。エンジニアを志す人は多かれ少なかれ、こんな世間の後になれば「なんと馬鹿な」といわれる常識と争わなくてはならないのである。(神戸・摩耶山頂にて)
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