大航海時代

<大航海時代>第22篇●新しき勇者たちへ 第89話 喝采

2003/07/07 16:18

週刊BCN 2003年07月07日vol.997掲載

 

水野博之 高知工科大学綜合研究所所長

 ダーリントンとストックトンの間の試行運転の成功は、スティーブンソンとその支持者の力を増すことになった。彼等は大いに声をあげ宣伝した。「どうだ。鉄道は雨が降ろうが、雪が降ろうが、道が泥沼になろうが文句も言わず黙々と働く。馬の代わりとなるこのような偉大な発明を認めないような連中は自分の無知と強情を反省すべきである」。さらにスティーブンソン達は反対派に追打ちをかけた。彼等はシンジケートを組んで資金を集め、リバプールとマンチェスター間にも鉄道をつくったのである。 このとき彼等は大いに工夫をし、従来の保守派を黙らせんがために機関車のコンクールを行い優劣を決めると宣伝したのであった。1829年6月、その競技会の日には1万人の人間がコンクールを見んものとやって来た。5台の機関車が名乗りをあげた、といわれる。そのなかには保守派を代表して2頭の馬に踏み車を踏ませて走るという、今から考えると漫画としかいえないようなものもあった。

 結果として優勝はスティーブンソンの「ロケット号」の上に輝いた。実に「ロケット号」は時速46kmという、当時としては破格の記録をあげて人々の喝采をあびたのであった。こうしてスティーブンソンは保守派の連中をも黙らせてしまったのである。一説によると、スティーブンソンの蒸気機関車を用いることによって、リバプールからマンチェスターまで1トンの石炭を運ぶコストは1kmあたり、馬車時代の8.3セントから1.7セントへと大変な値下がりをしたのであった。実に5分の1となったのである。産業構造の改革とはこのようなことをいうのである。いまあるものを足したり割ったりしてできるものではない。ここのところを間違うと、いたずらに混乱だけが起きることになるであろう。(高知空港にて)
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