水野博之 広島県産業科学研究所所長

 米国における鉄道の技術革新の最先端に立ったのがウェスチングハウスであった。この人もまた学者ではない。行動の人だった。ジョージ・ウェスチングハウス(1846-1914)こそ、スティーブンソンの後をうけて鉄道産業を大成した人といわれている。彼は小さな農器具をつくる工場を経営している父のもとで、その製造を手伝うことから仕事を始めた。しかし、彼はその仕事にあまんじることができず、当時の先端ハイテク産業である鉄道に興味をもつようになった。

 そうして、22歳のころにはすでに鉄道関係の機械の修理の仕事を始め、少しずつ手を拡げて転轍機(レールを切りかえる機械)の製造まで始めるようになっていた。このようなウェスチングハウスに転機がおとずれたのは、彼が悲惨な鉄道事故を経験したことによる。なべてこういった人達は自分の経験からヒントを得ることが多い。当時の列車は各車輌ごとにブレーキをひく担当がいて、事故に際しては汽笛一声、皆がよいこらしょ、とブレーキをかけることになっていた。当然のことながらこのようなブレーキのかけ方は各車輌ごとにタイム・ラグを生み、全車輌が同時に止まることは難しく、脱線転覆につながることが多かったのである。

 悲惨な事故を経験し、ウェスチングハウスは何とかうまいブレーキのかけ方はないものか、と考えた。そんな彼がある雑誌で、アルプスのモンセニ・トンネルの工事に圧縮空気が使われた、という記事に注目するのである。岩盤の穴開けに圧縮空気が使えるのなら、列車の全車輌にパイプを通し圧縮空気を送れば全車両を一気に止めることができるのではないか、と彼は考えたのである。これが画期的な発明エアーブレーキへとつながっていく。ヒントはあらゆるところに転がっているのだ。(神戸・六甲山頂にて)