大航海時代

<大航海時代>第22篇●新しき勇者たちへ 第97話 異端を志そう

2003/09/08 16:18

週刊BCN 2003年09月08日vol.1005掲載

水野博之 高知工科大学総合研究所所長

 ギルバート・キース・チェスタートン(1874-1936)は、独得のレトリックを駆使しながら「異端とは何か」について論じた。チェスタートン風にいえば「異端」はまさに「異端ゆえに正統たりうる」のである。それはヘーゲル流の弁証法的論理にも通じる、といってよいであろう。ヘーゲルによれば、万物の生成発展は「正、反、合」のプロセスをたどるとする。ここにいう「正」とは「正統」のことだ。世の主流である。これに反対するもの、即ち「反、異端」が加わることによって闘争が起こり、これらが合体してより高き状況「合」に至る。

 この「合」が今度は「正」となり、また同じプロセスを経てさらなる新しい状況が生まれる。これがヘーゲルの打ち出した弁証法的発展の論争である。なかなかうまく言ったものだ。この論理を労働者の革命の論理へと応用したのがマルクスとエンゲルスであり、循環的社会と創造的破壊社会として捉えたのがシュンペーターであった。いずれにしろ、社会が発展するためには正統があり異端がないといけないということだ。正統一辺倒の世界は活力を生まず、進化しない。最近、民主党と自由党が一緒になった。日本でもようやく「反」の動きがはじまったといってよい。

 正統、異端、名にこだわることはない。チェスタートン流に言えば、異端こそ正統たりうるのである。小泉さんは自由民主党のなかで異端たらんとしたが、これはすでに正統の道を歩みつつあり、まさに次なる「正反合」の動きが始まった、といってよい。面白くなってきた、というべきであろう。この動きがどう展開していくか、予断は許されないが、モノトーン(単一色)の日本社会のなかに活力を生むことだけは間違いないところだ。 ビジネスも同じ。さあ、皆、頑張って異端を志そう。(大阪ドームにて)
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