大航海時代

<大航海時代>第22篇●新しき勇者たちへ 第100話 もとのもくあみ

2003/09/29 16:18

週刊BCN 2003年09月29日vol.1008掲載

水野博之 高知工科大学総合研究所所

 沖縄の海も空も美しいが、空気もまた美しい。空気が美しい、というと奇妙に聞こえるかもしれないけど、事実美しいのである。ホテルのベランダから山並みを見ると、遠く山頂の木々が枝の1つひとつまで見える。私は宝塚の山の上に住んでいるが、近来、庭から遠くの山々を見ると、どうもボヤケテ見える。やれやれ、とうとう眼まで老化してきたかとひそかに嘆いていたのだが、何のことはない。沖縄に来てみてわかったのは、山並みがぼんやり見えるのは私の眼の老化の故ではない、ということであった。どうもスモッグ(?)の故らしい。

 いま宝塚の山頂から山々を見ているのだが、また山並みはボンヤリ霞んでいる。眼をこすってみるが同じことだ。「元の木阿弥」とはこのことをいうのであろう。ついでに、知ったかぶりをすると「もとのもくあみ」というのは、昔、木阿弥という人がいて、一念発起して修行に励んだ。穀物を絶ち、山中に住居して木の実だけを食べる、という荒行である。家族も、まあそこまでせんでも、といろいろ言ったが、本人耳をかさず大いに頑張ってみたものの、だんだん年をとるにつれて弱気になってとうとう妻のもとに戻った。という古話にもとづいている。

 「妻のもとにかえって幸福だったか?」そこまでは古話は伝えていないが、想像するに、まあ幸福だったんだろうな。少なくとも山中をウロウロするよりよかったから奥さんのもとに帰ったんだろう。この寓話の語るところは、一念発起して仕事をしても、世の中そうそうはうまくいかん、ということであり、その時大切なのは奥さんであるということだ。木阿弥の奥さんは立派であった。どんな迎え方をしたかは気になるところだが、まあ失意の亭主を受け入れたのだからねえ。ソクラテスの場合は家に帰れずに自殺したんだからなぁ。(宝塚にて)
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