脱レガシーの道標 IT新改革戦略を読む

<脱レガシーの道標 IT新改革戦略を読む>【第3部】連載第2回 電子自治体とバリアフリー

2007/01/08 16:04

週刊BCN 2007年01月08日vol.1169掲載

IT施策は理論先行

生身の人間を見ない?

 政府が進めてきた行財政改革のなかでも、〝目玉〟だったのは地方分権にかかわる税制の三位一体改革だ。電子自治体構築プロジェクトはその一環となるもので、障害者や高齢者にも優しい「バリアフリー化」技術の開発が進められている。にもかかわらず、「税制と同じように、弱者切り捨てにつながっている」という批判がある。その背景には、「生身の人」を直視しない理論の先行があるのかもしれない。(佃均(ジャーナリスト)●取材/文)

■ITの限界をITで解決すべきか

 現行の電子投票システムには、ディスプレイに表示される候補者の名前を指で触れるタッチパネル方式が採用されている。推進派は「操作は金融機関のATM(現金自動預払機)より簡単で、迅速に集計できる」と説明するが、目や指が不自由な人は操作ができない。また車椅子の人は、ディスプレイの高さや角度によって使いづらい。

 選挙権は日本国憲法が保証する国民の権利である以上、体が不自由な人が選挙権を行使できないのでは憲法違反になってしまう。そこで電子投票普及協業組合は、視覚障害者向けにヘッドホンで候補者の名前を読み上げ、ディスプレイの文字を大きく表示する機能を開発し、あるいは肢体不自由者向けに大きめのボタンを配置した機器を用意している。

 「誰にでも使えるバリアフリー化」の機能は、公共機関のホームページにも必須となりつつある。コンピュータで手話のアニメーションを生成し、画面の隅に表示する技術もあるが、現在は音声読み上げ方式が主流だ。ところが、さまざまな行政手続きを電子的に行うには、どうしても入力方式が課題として残る。健常者を前提にし、キーボードとマウスに依存する現在の情報機器の限界といっていい。

 「ITの限界をなぜITで乗り越えなければならないのか」という素朴な疑問がある。「現行の制度では、電子投票システムのメモリを開票所に集めなければならない。オンライン伝送が可能になれば、投票所から開票所にメモリを届ける時間を投票時間の延長に振り向けることができる」「体が不自由な方やシステムの操作が分からない方に、介添人を付けることができれば、課題の多くが解決する」という指摘だ。

■電子ポットで生存情報

 とはいえ、ITを活用して社会的弱者をサポートする仕組みが機能していないわけではない。それは行政サイドでなく、民間の発想から生まれている。

 今から11年前、東京・池袋のアパートの一室で、一人暮らしのお年寄りがひっそりと息を引き取った。発見されたのは死後数日たってからで、「都会の孤独死」が社会問題として浮上するきっかけとなった。このとき行政サイドは全国一律の公的介護福祉サービスを推進していたが、具体的な対策を講じることができなかった。

 ニュースを知った地元のある医師が、象印マホービンにアイデアを持ち込んだ。毎日使う電子機器に生存情報を発信する機能を加えることはできないか、というものだった。電子ポットや電子炊飯器を使ったという信号が、生存情報になる。象印は役員会で「これは当社の社会貢献である」と判断して開発に着手、その年の12月に試作機を完成させている。

 ただし、当時の情報発信はダイヤルアップ方式だったため、機器設定の難しさや回線契約の問題があった。このため実用化は見送られたが、2001年になって、IP(インターネット・プロトコル)を採用したリモート監視技術とASPサービスを組み合わせれば、情報発信設定が容易にでき、料金も安くなることが分かった。象印、NTTドコモ、富士通の3社が「みまもりホットライン」の名でサービスを開始したのは2001年3月だった。

 一人暮らしのお年寄りが電子ポットにスイッチを入れたり、お湯を注いだりすると、屋内に設置した無線中継器を経由して「操作が行われた」という信号がサーバーに送信される。毎日午前、午後の2回、サーバーが受信した信号が遠隔地で暮らす家族や介護施設に送られる。受信側の機器は携帯電話、パソコンのいずれでもいい。

 「なるほど」と感心する仕組みだが、行政サイドはこのシステムに冷淡に見える。高齢者の安否は公的介護制度の対象外なのだ。

■究極は人と人の対話

 06年5月、川崎市の鶴見公会堂。

 午後1時から始まった講演会は、「今日はできるだけゆっくりお話します」という、穏やかで温かみのある声で始まった。

 演壇の椅子に腰掛けて話すのは、ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏。演壇に椅子が用意されていたのは、主催者が80歳という氏の年齢に配慮しただけではなかった。

 「皆さん、わたしはね、中学生のときものすごい熱をだしましてね。それから体が不自由になってしまいました。あとからわかったのは、小児麻痺だったんです」

 それを聞いて初めて、小柴氏が右手をかばうように、杖をついていた理由が分かった。そして、なぜ氏がこの講演を無料で引き受けたのかも理解できた。講演会を企画したのは、身体障害者の社会復帰を目指す市民団体だったのだ。

 演壇のすぐ下には車椅子の人のエリアが設けられ、その左に小柴氏の話をワープロに打ち込むボランティアが10人ほどいる。入力された文字が舞台の両脇に設置された大画面ディスプレイにほとんど同時に表示される。小柴氏と東京大学で机を並べた天羽浩平氏(元東芝常務、サンマイクロシステムズ元会長)が声をかけ、システムは東芝が提供した。

 「太平洋戦争の真っ只中だったでしょう。だから、今のようにバスもタクシーもなかったので、中学校まで10キロも歩いていかなければなりませんでした。体の半分が自由にならないので、ある夏の日のこと、砂利道の真ん中でよろけて倒れたら、どうにもこうにも起き上がれない」

 諦めて、真っ青な空と真っ白な雲を眺めていた。

 「そうですねぇ、倒れてから2時間ほどしたときでしょうか。お百姓のおじさんが通りかかって、何やってるんだ、と声をかけてくれました。それで事情を説明すると、助け起こしてくれたんです。頑張って勉強して、偉くなるんだぞ、と励ましてくれました。あのおじさんが通りかからなかったら、いまの私はいなかったかもしれません」

 光技術の最先端をゆく浜松ホトニクスの存在や、10億×10億分の1cm単位での質量を計測するコンピュータ・システムがあって初めて、ニュートリノの実在を証明することができた。それを可能にしたのは技術そのものでなく、小柴氏の人柄と熱意に晝馬輝夫氏(浜松ホトニクス会長兼社長)など多くの人が惹きつけられたためだ。

 「制度とか技術は人を幸福にするためにあるべきもの。皆さん、決して諦めず、夢のタマゴを持ち続けてくださいね」

 ITの重要性を十分に理解している小柴氏が強調したのは、温もりある人と人の対話だった。
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