島根県は、全国的にみればあまり目立たない県だ。しかし、IT産業でみれば、オープンソースのオブジェクト指向プログラミング言語であるRubyの先進地域としての地位を確立している。全国の多くの地域で、多重下請け構造による受託ソフト開発ビジネスが低迷しているなか、島根県のソフト系IT産業の売上高は、リーマン・ショックが起こった2008年以降も、堅調に推移している。(取材・文/真鍋 武)
県内のIT市場は堅調
島根県は、人口が少なく、経済規模が小さいうえに、交通の便があまりよくないので、全国的に目立たない地域となっている。出雲大社や石見銀山など、全国に知れた観光名所も多くあるが、gooランキングの「ご当地名物が思いつかない都道府県」調査で1位を獲得するなど、県としての注目度は決して高くはない。
しかし、島根県のIT産業は、ハード・ソフトの両面で元気だ。ハード産業では、日本有数のPC生産拠点である島根富士通が出雲市にあって、100%国産の富士通製PC/タブレットを生産している。1990年10月に生産を開始して、13年5月には累計生産台数が3000万台に達した。とくに今年度(13年3月期)は、「Windows XP」のサポート切れに伴うPC環境の刷新需要が高まっていることを受けて、増産体制を敷いており、前年比で約3割増のペースで生産している。
ソフト産業も活性化している。島根県情報産業協会によると、島根県のソフト系IT産業の売上高は、リーマン・ショックが起きた08年以降、一度も縮小しておらず、12年には08年比で34.7%増の178億4100万円となっている。リーマン・ショック時には、日本のIT市場が2割縮小し、広島県など、近隣の県ではダメージが大きかっただけに、島根県のIT市場の伸びが堅調に推移していることは注目に値する。
好調の背景には、島根県がオープンソースのプログラミング言語であるRubyの先進地域としての地位を確立していることがある。それゆえ、首都圏や関西圏からRuby関連のソフト開発案件を受託しやすくなっているのだ。地域のITビジネスに詳しい人材が、「島根といえばRuby」と口を揃えるほど認知度は高い。近年では、徳島県など、島根県を参考としてRubyの活用を推進している自治体も増えている。

「松江オープンソースラボ」は、JR松江駅前の好立地。週1回程度、OSSに関する勉強会が行われている産学官が連携してRuby活用を推進
島根県内のRuby振興は、06年に松江市が開始した「Ruby City MATSUEプロジェクト」に端を発している。松江市では、05年に人口が減少し始め、産業振興が急務となっていた。そこで、松江市にRuby開発者のまつもとゆきひろ氏が在住していることに目をつけて、Rubyを軸としてソフト系IT産業の振興を図ることで、人材の流出に歯止めをかけようとしたのだ。「Ruby City MATSUEプロジェクト」では、Ruby人材の育成や、コミュニティづくり、ビジネスプランコンテストなどを支援している。
例えば、06年7月には市内外のエンジニアが技術力を高めるための交流の場として、JR松江駅前に「松江オープンソースラボ」を設置。OSSに関する研究・開発・交流のためであれば、誰でも無料で使用することができ、エンジニアのOSSに関する勉強会や、地元の中学生に対するRuby講座を実施している。また、松江市は、島根大学や松江工業高等専門学校が開催するRubyプログラミング講座の開催経費に助成金を提供したり、Rubyアソシエーションが実施しているRuby認定技術者の資格取得を望む学生に対して、試験費用を一部助成したりしている。
06年7月には、県内の産学官が連携して、OSSの地元コミュニティ「しまねOSS協議会」を設立した。月に1回、OSSに関する勉強会を開催したり、年1回、オープンソースカンファレンスを開催したりして、技術者の能力向上に努めている。しまねOSS協議会の会長で、ネットワーク応用通信研究所(NaCl)の井上浩代表取締役は、「今では島根県のほぼすべてのソフト系IT企業が、Ruby技術者を保有している」と語る。
07年からは、松江市に追随するかたちで、島根県もRubyを軸とするソフト系IT産業の振興を重点施策として推し進めている。県は、企業を対象とするRuby技術者の育成や、県内自治体の業務システムのRuby導入の促進支援、県外からのソフト開発案件の獲得を目指すしまねソフト産業ビジネス研究会の支援などを行っている。
例えば、県庁システムでは、09年に商工労働部の予算を用いて、業務統合型共通基盤にRubyの標準規約と共通ライブラリを適応させ、情報システムの刷新時には、従来のJavaだけでなく、Rubyで開発できるようにした。この結果、10年には、統計調査課の人口移動調査システムなど、12の情報システムをRubyで開発。それも、入札形式であったにもかかわらず、大手ベンダーではなく、すべて地場ITベンダーが案件を受注している。人材育成を支援するだけでなく、実際のビジネスに結びつけることで、ITベンダーの経験やノウハウの蓄積に寄与している。
また、島根県と松江市はIT企業の誘致にも積極的だ。例えば誘致企業に対して、賃料の半額を負担する優遇施策を島根県と松江市がそれぞれ設けているので、進出企業は賃料無料で会社を運営できる。さらに島根県は、通信費・航空運賃の半額を5年間、電気代の半額を8年間補助するなど手厚い支援を行っている。これによって、07~13年までに、福利厚生サービスを提供しているイーウェルなど、松江市を中心に20社のソフト系IT企業の誘致に成功している。
こうした施策の成果として、12年には、県内のソフト系IT企業の従事者数が08年比10%増の1127人、Rubyエンジニア数が同約3倍の238人、Ruby開発案件数が同約3.5倍の271件となっている(島根県情報産業協会)。また、Rubyだけでなく、全体のシステム開発件数も08年比で78.8%増の826件と増加した(同)。「Rubyの案件をきっかけに、顧客との信頼関係を構築して、そのほかの受託ソフト開発の案件を獲得できるケースが増えている」(井上代表取締役)のだ。Rubyは、島根県のIT産業全体を活性化する起爆剤になっている。