日本市場は閉鎖的といわれる。表面的には大きな規制はないものの、なかなか入り込めない壁があるからだ。その一つが業界である。日本ほど細密に業界を築いている国は少ない、そして、その業界が意外なほど力をもっている。とくに建設、食品、運輸などの内需産業は圧倒的な力である。なにしろ、あのトヨタ自動車でさえ、住宅業界ではまだ本格的に成功したとは言いがたい。外国企業だけでなく国内企業でも他の業界に進出するのは大変なのである。
そんななかでIT業界だけは異質である。日本社会には珍しく真の競争が行われている。事業を閉鎖する企業がある一方で、多くの企業が参入するすさまじき競争社会を形成している。その代わり、この業界は過去の実績とかはいらない。市場に提供する技術、サービスの優劣だけが雌雄を決する。日本の産業社会にあって、常に真剣勝負が求められる貴重な業種である。
真剣勝負で勝ちを収めた代表的な企業な一つが、1997年に林高生社長が25歳で創業したエイチーム(名古屋市西区)である。同社の快進撃には目を見張るものがある。注目されるのは、マザーズ上場から最速の233日で東証1部上場を果たしたことである。社歴が10年そこそこでジャパンドリームを成し遂げた功績は限りなく大きい。
エイチームのエンターティンメント事業では、世界で合計700万ダウンロードされたスマートフォン向けソーシャルゲーム『ダークサマナー』『麻雀 雷神』など各種のゲーム、携帯電話ではオンラインRPG『エターナルゾーン』、ライフサポート事業では全国150社の引越し業者のなかから自分に適する業者を選ぶ『引越し侍』、自分にマッチするクルマが選べる『ナビクル』などが挙げられる。
また、ユニークな試みを数多く実行している。会社は、午前10時始まりであるが、「どうしてそんなに遅くしたのか」と聞くと、「9時ではビルのエレベーターホールが混むから」という答えが返ってきた。「開発は、チームで行う。徹夜作業などの非効率な仕事はしない。個性を生かすことも大事だが、組織力で新たな開発に挑戦する。また、一つの開発が終わると必ず打ち上げを行う」そうだ。オタク化した個性的なエンジニアが画面を相手に悪戦苦闘するイメージとはずいぶん異なる。
アジアビジネス探索者 増田辰弘
略歴
増田 辰弘(ますだ たつひろ)

1947年9月生まれ。島根県出身。72年、法政大学法学部卒業。73年、神奈川県入庁、産業政策課、工業貿易課主幹など産業振興用務を行う。01年より産能大学経営学部教授、05年、法政大学大学院客員教授を経て、現在、法政大学経営革新フォーラム事務局長、15年NPO法人アジア起業家村推進機構アジア経営戦略研究所長。「日本人にマネできないアジア企業の成功モデル」(日刊工業新聞社)など多数の著書がある。