東京の神楽坂に「離島キッチン」という日本食レストランがある。値段は相場よりも少々高いものの、隠岐の島の岩ガキや利尻島のたちかま、岩城島のレモンポーク焼き、酒類では佐渡島の北雪、淡路島の島レモンビールなど、全国70の離島の食材を取り寄せ調理し提供している。島の味、故郷の味が楽しめると大変好調である。店は東京だけではなく福岡と札幌にもある。
この離島キッチンの経営主体は、島根県隠岐の島の海士町観光協会である。町や村の観光協会というと、普通は年配の事務局長に電話番の女性が1人いるイメージだが、ここには47人の職員がいる。
私は失礼にもこのことが信じられず中村等光海士町観光協会会長に、「職員の方々にはちゃんと給料は払っているのですよね」と聞いた。「もちろんです。ボーナスも社会保険料も払っています」と答えが返ってきた。
職員の内訳は、海士町に14人、三つの離島キッチンで33人。キッチンの33人はともかく、島の14人がどうしてもわからない。聞くと、「旅行業、マルチワーカーという人材派遣業、島会議などの各種イベント、それに全国から行政視察に年間2000人が来るのです。この対応だけでもひと仕事です」と中村会長は説明してくれた。
離島キッチンの元金は海士町が出していると思い、「それにしても、よく町は海士町観光協会にこの金を出しましたね」と聞くと、「離島キッチンは町役場からはほとんど資金的な支援は受けてはおりません。全国商工会連合会や民間の資金です」という。これには驚いた。
常識的に考えて、小さな町の観光協会の離島キッチンに民間から資金が出るとは思えない。しかし、出るのである。ある民間企業は、いくらでも資金を提供するとまで言ってくれているという。せちがらい世の中だが、やる気があり志のある事業には資金も人も集まるのである。
日本経済が20年も停滞していることの原因の一つにマンネリ体質があげられる。日本人は心がやさしく穏やかで、マンネリ化の危機感が弱い。この体質が成長力を弱めた。多くの町や村の観光協会が、年配の事務局長と事務の女性職員が1人いるかたちにすっかり慣れてしまっていたのに、海士町観光協会はこの惰性の壁に挑戦した。地方創成の見本のような事例である。
アジアビジネス探索者 増田辰弘
略歴
増田 辰弘(ますだ たつひろ)

1947年9月生まれ。島根県出身。72年、法政大学法学部卒業。73年、神奈川県入庁、産業政策課、工業貿易課主幹など産業振興用務を行う。01年より産能大学経営学部教授、05年、法政大学大学院客員教授を経て、現在、法政大学経営革新フォーラム事務局長、15年NPO法人アジア起業家村推進機構アジア経営戦略研究所長。「日本人にマネできないアジア企業の成功モデル」(日刊工業新聞社)など多数の著書がある。