ほぼ2カ月ぶりに上海のロックダウンが実質解除となったが、この間の状況を現地の友人に聞いたところ、大変失礼な言い方だが、おもしろく傑作な逸話が山盛りとなった。

 例えば、3年ぶりに友人宅を訪ねた直後にロックダウンに遭い、否応なくその友人と2週間も一緒に暮らすことになった。もっと切実なのは、ある中華料理店の配達員。出前で客先に向かい、わずか5分差でロックダウンに遭遇。その地区で2週間暮らす羽目になった。これが小区(居住区)で感染者が1人出るともっと大変である。例え陰性であってもその地区の人はすべて隔離される。隔離先は日を追うごとに上海市内から遠くなる。何時間もバスに乗せられて知らない街のホテルに入れられる。

 こんなことに巻き込まれては大変と日本に帰ろうとしても、まず小区管理委員長の空港までの外出許可が得られない。例え許可を得ても地下鉄やバス、タクシーが止まっていて空港までの足がない。やむを得ず白タクを頼むと、運賃が2300元(約4万4000円)と一頃の上海から日本までの格安航空チケット代くらいはかかる。

 上海港には現在も多くのコンテナ船が滞留している。これは税関や荷捌きは機能しているが、トラック輸送が停滞しているため輸出入貨物の受け入れ能力が低下しているためだ。

 深刻な事態も起きた。これはハルビンでの話だが、コロナで家賃が払えない借主に業を煮やした家主が、借主の持ち物を店の外に放り投げて店に鍵をかけてしまった。これに絶望した借主は抗議の意味を込めてこの商店の前で焼身自殺した。このニュースが大きく取り上げられたため、上海では強引な取り立ては起きなかったようである。多くの中小企業は収入がないのに社員の給料、家賃の支払いに苦労していることがうかがえる。

 一部の工場で操業の許可が出ても、それは工場を隔離してという条件付きだ。つまり社員は全員、工場で泊り込みになる。工場にはそれほど宿泊設備や寝具があるわけではない。会議室も食堂も総経理室も寝室になる。急ぎ手配した寝具の置き場所にも苦労する。

 上に政策があれば下に対策がある。中国人はこれまで、さまざまな政策に巧みに対応してきたが、コロナの対策には、まだまだ四苦八苦しているようである。

 
アジアビジネス探索者 増田辰弘
増田 辰弘(ますだ たつひろ)
 1947年9月生まれ。島根県出身。72年、法政大学法学部卒業。73年、神奈川県入庁、産業政策課、工業貿易課主幹など産業振興用務を行う。01年より産能大学経営学部教授、05年、法政大学大学院客員教授を経て、現在、法政大学経営革新フォーラム事務局長、15年NPO法人アジア起業家村推進機構アジア経営戦略研究所長。「日本人にマネできないアジア企業の成功モデル」(日刊工業新聞社)など多数の著書がある。