旅の蜃気楼

飛騨・神岡が結んだ“不思議な縁”

2010/07/15 15:38

週刊BCN 2010年07月12日vol.1341掲載

【神田発】何を考えるともなく車窓の景色を眺めながら、列車の揺れに身体を任せていると、いつの間にか、眠りにつく。旅の心地よさは、移動の間の心地よさでもあるのだろう。

▼最初の一人旅は小学校の4年生の頃だ。親しい友達が父親の転勤で飛騨の神岡に転校した。文通をしていて、夏休みに彼の家まで遊びに行った。長良天神から徒歩で長良北町へ。そこで、チンチン電車に乗って岐阜駅へ。ここから長旅が始まる。高山線に乗って富山方面に向かう。高山駅を越えて、途中で支線に乗り替えて、目的地「神岡駅」に着く。駅舎の前で友達と再会した。セピア色の記憶の一枚だ。

▼ここからの展開は、神岡がらみで少し複雑になる。人の縁は摩訶不思議という話だ。BCNのオフィスは以前、本郷にあった。その当時から取り引きしている三菱東京UFJ銀行の春日町支社長が神田支社に転勤になった。支社長の佐伯仁さんは以前、TISに出向していて、週刊BCNの読者であった。しかも、実家が富山の神社ということもあって、身近な人と感じていた。神田支社への転勤後から親しくなり、一年後にBCNも神田に移転した。いやあ偶然ですね、ということで、神田で会うことになった。神田小川町にある「神田仲谷」という店だ。神田支社に移ってからの馴染みらしい。店は飛騨の装いだ。聞けば、店主の仲谷丈吾さんは神岡の生まれという。30がらみの若い店主だ。神岡は思い出の町だ。尾内治良さんという地元の経営者で、二十年来の友人がいる。早速メールをしたら、三日後の日曜日夜に東京にいるから、その店に行きたい、という。日程をやり繰りして「神田仲谷」に向かった。神岡の二人は40歳ちがいだ。親子ほどの年齢差があっても話は弾んだ。尾内さんの友人が仲谷さんの父親と親友らしい。店のメニューにある、ほう葉の味噌焼きの葉っぱを拾い集めているのが尾内さんの友人だ。その店に入って間もなくすると、他のお客から突然声が掛かった。「奥田さん、こんばんは。さくらの田中です」「えっ、どうしてここに?」「自宅が近いんですよ」。田中さんはさくらインターネットの社長だ。今夜、初めて立ち寄った店だという。人の縁の不思議さを体感した夜だった。(BCN社長・奥田喜久男)

この店を舞台に、人の縁がつながった
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