旅の蜃気楼

翻訳ソフトの開発秘話に触れた旅

2012/07/05 19:47

週刊BCN 2012年07月02日vol.1438掲載

【ソウル発】韓国を旅すると、いつも感じることがある。ハングル文字が記号に見えるのだ。そんなことを、今回ソウルの旅にご一緒した高京徹さんに伝えた。すると高さんは、「ハングルが読めるようになって、初めてソウルに来て街を歩いた時、いろんな情報が目に入ってきて、感動しました」という。高さんは翻訳ソフトの高電社を創業した高基秀さんのご子息だ。

▼創業者の高基秀さんは、2006年5月に他界された。韓国の済州島に生まれ、光州で少年期を過ごし、日本に来て早稲田大学を1960年に卒業して、1979年7月に高電社を創業。パソコンのソフト開発とハードの販売を手がけ、80年には高電社パソコン学院を設立し、パソコン事業を積極的に推進した。パソコン時代の到来を信じて走った創業者の一人である。

▼私と高基秀さんは、それぞれが会社を起こした頃に出会った。それ以来、大阪に出向くたびに、阿倍野区にある本社事務所にうかがって、ワープロソフトや、その延長にある翻訳ソフトを開発する夢物語を聞かせていただいた。日本語と韓国語の翻訳ソフトが完成すると、日本語と中国語や英語などの翻訳ソフトも相次いで発売してこられた。

▼ご子息の高京徹さんは1995年に高電社に入社して、製品開発から広報までを手がけ、2年前に起業した。京徹さんが起こしたアプリ・スマートは、検索ソフトの『いもづる大辞典』という新製品を近く発売する。ソウルでの弥次喜多道中では、創業者の話に終始した。「父が日本に来てすぐ、まだ会話ができなかった頃に、警官に尋問されましてね。恐怖に駆られて、日本語が口をついて出なかったそうです」。自動翻訳機があれば救われると思って、一途に開発にのめり込んだ、と秘話を聞いた。いつも山羊のように口をモゴモゴさせながら話す高基秀さんを思い出した。幸せな気分だった。(BCN社長・奥田喜久男)

韓国にご一緒した高京徹社長には、創業者のことをうかがった
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