2016年の本屋大賞受賞作

 「森の匂いがした」からストーリーが展開する。秋の夜に近い時間の森で、風が木々を揺らし、ざわざわと葉の鳴る音。夜が始まるのを待つ山の動物の息を潜めている気配。それが、森の匂い。

 山間の村、それも森に遮られて陽が早く沈むような山間の村で育った主人公は、幼少期に森に迷い込んで帰ってこられなくなった話をよく聞かされた。「日が暮れかけたら、もう森に入っちゃいけない。昼間に思っているより、太陽の落ちる速度は速い」。ダメだと言われれば、行きたいと思うもの。主人公は、夕暮れどきの森に何度も入っていったに違いない。

 高校の体育館に置いてあるピアノを調律する。調律師の作業で聞こえてくるピアノの音に「森の匂いがした」と主人公。そこからピアノの調律師という森の中に迷い込んでいく──。

 全国の書店員が選んだ売りたい本に選ばれた「羊と鋼の森」。ピアノの調律師として成長する姿を描いた長編小説である。

 ピアノは、フェルトが弦を叩くことで音を出している。そのフェルトの白っぽい部分が、羊の毛でできている。そして、弦の素材には鋼が使われている。「羊と鋼の森」というタイトルは、そこからきている。

 社会人になりたての頃は、誰しも何らかの不安を抱えていたはずだ。「やっていけるのか」「この仕事は自分に向いているのか」。本書は調律師の成長を描いているが、ほかの道を進んできたとしても、若き日の“森”を思い出すはずだ。しんみりと過去を振り返った。(亭)

『羊と鋼の森』宮下奈都 著文藝春秋 刊(1500円+税)