秋葉原物語

<秋葉原物語>[第1部 ポテンシャル]9.技術伝承の学校

2005/01/03 16:51

週刊BCN 2005年01月03日vol.1070掲載

 秋葉原は不思議な街だ。新しさと懐かしさが共存している。  変化のスピードも速い。この間まであったはずの店がなくなって新しい店に入れ替わっている。置いてある商品も、前回訪れた時とは当然違う。流行り廃りを敏感に察知し、常に売れ筋の商品を追いかける街、それが秋葉原だ。  それにも関わらず、「懐かしさ」を感じさせるのは、秋葉原の街に多くの人の「思い出」が染みついているからではないか。

 新しい秋葉原を考えていく上でも、この「思い出」は重要なキーワードとなってくる。

 秋葉原を良く知る1人が、ラオックス、ザ・コンピュータ館の元店長の松波道廣氏。現在は中小企業向けコンサルティングを行うカスタマー経営研究所を経営する。そのかたわら、秋葉原、神田、丸の内とその周辺地域の産業育成・人材育成並びに地域振興を推進する会員相互の研究・交流・実践を行なう「edo-valley」(エドバレー)推進機構の運営委員、秋葉原西口商店街振興組合の相談役など、秋葉原の地域振興に関わっている。秋葉原を観光地として活性化させる施策を作っていくなかで、電気街には「技術伝承の場としての役割がある」と指摘する。

「秋葉原の電気街は、昔はラジオ、その後オーディオ、そして現在はパソコンと変化はあるものの、親が子供を連れてきて、自分で組み立てて製品を作り上げることを教える場でもあった」

 いわば電気製品の学校としての役割を秋葉原が果たしてきたという。松波氏は、「親が秋葉原ファンでも、その娘さんは“秋葉原なんて”という家庭もあるようだ。だが、私の娘はこちらが教えてもらうこともあるくらい秋葉原には詳しい」と話す。松波家でも親から子へ、秋葉原の魅力は確実に伝えられているようだ。

 この「技術伝承」は親から子だけに伝わるとは限らない。時には販売店の経営者や店員が先生の役割を果たし、技術を伝承していく場合もある。

 電気街の名物店主と言われた、ぷらっとホームの本多弘男会長は、「今は有名になっているアイツもコイツも、昔はうちの店の常連だった」というのが口癖。記者たちも、「本多さんにつかまっちゃうと、しばらく帰れないからなあ」と苦笑いしながら、本多会長と話し込むことを、実は密かに喜んでいた。本多会長は、店に来る客に秋葉原の魅力を伝える「先生」としての役割を果たしていた。

 秋葉原が、技術伝承の場としてのポテンシャルを持っているからこそ、「秋葉原に行けば…」と多くの人が足を向けることになっているのではないだろうか。(三浦優子)
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