ITで農産物の生産性を高める
農家を支えるITソリューション
農業IT化といっても、農産物の生産性の向上、経営分析、販売支援など、切り口はさまざまだ。ここでは、最も想像しやすい農産物の生産性の向上に焦点をあてて、ITがどのように活用されるのかを紹介する。
●灌水栽培を制御 ハウス栽培などの施設園芸では、クラウドやセンサを活用して農産物の生産性を高める動きがみられる。ハウス内の温度や湿度、照度、炭酸ガスの濃度などの環境データをセンサによって読み取ってクラウド上に保管し、これを遠隔でリアルタイムにモニタリングすることによって、農家は農作物の生育状況を把握したり、異常を検知したりすることができるという。データを蓄積し、分析していけば、作物ごとに最も生産性が高くなる環境を導き出して、安定した生産を実現できる。
2012年までは、センサによって取得した環境データをモニタリングすることにとどまっているITソリューションが多かった。しかし、2013年に入って、実際に環境を制御することができるものが生み出されてきた。例えば、NECが提供している「農業ICTクラウドサービス」は、2013年7月に、あらかじめ設定したスケジュールに合わせて灌水制御ができる機能を追加。クラウドを経由して、ハウス内に設置した灌水装置を1日のうち何時から何時まで動かすのか、どの程度の間隔で水やりをするのかなどの詳細な設定を、1日48パターンまで遠隔で行うことができる。これによって、農家はハウスに足を運ぶ頻度を減らして、農作物を容易に栽培できるようになる。千葉県の農事組合法人である和郷園では、実際にこの灌水栽培の制御機能を利用して、従前よりも農作物の品質の安定・向上を実現している(写真1参照)。同様に、神奈川県のルートレック・ネットワークスも、養液栽培を制御できるソリューションとして「ZeRo.agri」を提供している。こうした栽培方法までに踏み込んだIT活用によって、農作業は劇的に変化していく。

NECの「農業ICTクラウドサービス」を利用すれば、灌水の量をITによって遠隔で制御することができる ●植物工場で丸ごとIT化 施設園芸よりも一歩踏み込んだ人工的な栽培方法として、植物工場がある。温室の施設内で養液栽培の手法を取り入れて、太陽光もしくは人工光を光源として計画的に農作物を栽培するというものだ。近年、農業に新規参入した企業が、植物工場で農作物を生産する動きが活発になっている。調査会社の富士経済は、2013年の完全人口光型植物工場の市場規模は前年比44.8%増の42億円だが、18年には88億円にまで拡大する見込みを示している。
この植物工場に目をつけたのが、日立製作所だ。日立製作所は、植物工場の開発と農作物の生産販売を手がけるグランパに対して1億円を出資し、グランパが開発したドーム型の植物工場「グランパドーム」を利用する生産者に対し、今春から「野菜生産支援クラウドサービス」を提供する予定だ。気温や液温、湿度、気流などの環境を制御できる水耕栽培生産システムを備えた「グランパドーム」と、クラウドサービスを結びつけることによって、遠隔での施設管理や、栽培履歴の管理を実現する。これによって農家は、一定の品質・供給量・価格を維持しながら農作物を生産できるのだ。
ITベンダー自らが生産者になる動きもみられる。富士通では、今年1月、福島県会津若松市に、4億円を投資して「Akisai」を活用した完全人口光型の植物工場「会津若松Akisaiやさい工場」(写真2)をオープンした。富士通がもともと半導体工場として使用していた施設のクリーンルーム2000m2を活用して、レタスなどの低カリウム野菜を1日あたり3500株ほど生産する。富士通の狙いは、「Akisai」のノウハウの蓄積と販売促進にある。自らが植物工場を手がけることで、他業種から新規参入する農家に対して、農業で必要となる施設や装置、クラウドサービス、生産ノウハウなどをまとめて提案することができるようになる。農業への新規参入を検討する企業は、日立製作所や富士通に相談すれば、簡単に農作物の生産を開始することができるのだ。

富士通は、福島県会津若松市に国内最大級の低カリウム野菜の植物工場「会津若松Akisaiやさい工場」をオープンした ●露地栽培を助けるモバイル端末 農作物の生産方法で、忘れてはならないのが露地栽培だ。IT化をするうえでは、これが意外と難しい。施設園芸や植物工場とは勝手が違い、センサなどを設置して、栽培環境を制御することが困難だからだ。ITベンダーは、どのような生産性を高めるソリューションを提供しているのだろうか。
一つの答えは、モバイル端末の活用にある。例えば、イーエスケイが提供しているAndroidアプリ「畑らく日記」がそれだ。これまで紙に記録していた営農日誌をスマートフォンで簡単に入力することができるというもの。露地栽培なので、温度や湿度などの環境そのものを制御することはできないが、作物の種類や状態、数量のほか、与えた肥料などの栽培記録をとることで、安定生産に結びつけることができる。データはクラウド上に保存されるので、紙の営農日誌と比べて長期に使うことができるし、過去の栽培履歴を参照すれば、品質を高めるためのヒントがつかめるかもしれない。また、日々の農作業で、広い圃場を見て回りながら音声入力もできるので、農業従事者は家に帰ってから日誌に記入する必要がないことになる(写真3参照)。

イーエスケイの無料アプリ「畑らく日記」は、モバイル端末を使って音声入力で簡単に栽培履歴を記録できる農業IT化の課題と解決策
課題は「わからない」「高い」「ニーズに則していない」
農作物の生産性を向上するITソリューションが増えているが、実際にまだ市場は立ち上がったばかりだ。例えば、NECは「農業ICTクラウドサービス」のユーザーとして約300軒の農家を獲得しているが、新事業推進本部シニアエキスパートの大畑毅氏は現状について、「確かに導入数は増えているものの、まだ本格的な普及期に入っているとはいえない」と分析している。IT化を進めるうえでの課題となっているものは何か。
一つは、ITリテラシーの欠如だ。これまでIT化がほとんど進んでいなかっただけに、ITの使い方がわからないという農家が多い。経営全般に関する知識も乏しく、富士通マーケティング部門統合商品戦略本部長の阪井洋之氏は、「原価計算さえしていない農家はまだまだ多い」という。
また、IT投資可能額が大きい農家が限られていることもネックだ。大規模農家や他業種からの新規参入農家など、IT投資意欲が旺盛な農家は増えてはいるが、農林水産省の調査によると、ITに投資している・したい農家でも、年間投資可能額が10万円未満の農家が64.8%を占めている。
さらに、農家によってITのニーズが大きく異なるという課題もある。農協の指導員向けの農業情報管理システム「GeoMation Farm」を提供している日立ソリューションズ社会システム事業部空間情報ソリューション本部GIS部担当部長の西口修氏は、「ある農家では必須な機能が、他の農家ではまったく必要ないといわれたりすることがある。汎用的なクラウドサービスでは、農家のニーズに応えにくい」と説明する。

三菱自動車工業とニチコンは、太陽光発電を利用した充電ステーションを提供 ●解決策は簡単・安価・柔軟性 こうした課題を解決するためには、使い勝手がよく簡単で、安価、柔軟性の高い農業ITソリューションが求められる。例えば、イーエスケイの「畑らく日記」では、「農家の人たちが作業中でも簡単に入力できるよう、使い勝手にはとことんこだわった」(片山健史社長)。画面はシンプルで、余分な機能を削ぎ落としているだけでなく、音声入力機能で、作業をしながら記録できる。
四国IT農援隊は、ITリテラシーに疎い農家が多い現状を受けて、営農に関わる情報を提供するポータルサイトを開設。農援隊で高知県を担当しているシティネットの渡邊基文社長は、「安定した経営ができる農家を増やすために、はじめは農家に対して情報システムを提案したが、そのほとんどはITについての知識がなくて、うまくいかなかった。そこで、まずはポータルサイトから始めることにした」と説明している。ポータルサイトでは、農家や営農資材会社、農業ITに取り組むITベンダー、農協(JA)などが、営農にかかわる情報を相互に共有できる。農家をサポートするネットワークを構築して、結果的にIT技術の活用につなげてもらう狙いだ。
IT投資可能額が低い状況に関しては、安価なサービスを提供することが決め手になる。例えば、「畑らく日記」は、基本機能を無償で提供している。これが農家に「使ってみようか」をいう気を起こさせて、12年10月に提供を開始して以来、すでに1000ユーザーを獲得している。また、クラウドサービスでは、初期投資を抑えるかたちで農家が利用を始められるが、年間で10万円を超えない価格設定にしなければ、継続的な利用は難しい。安価に提供すると、ITベンダーとしても収益を捻出することが難しくなるので、利益を出すための工夫は欠かせない。
IT以外の部分でコストを削減するためのユニークな取り組みを実施している企業もある。三菱自動車工業とニチコンでは、今年2月に宮城県岩沼市内で、太陽光発電によって得た電気をリチウムイオン蓄電池に蓄え、このエネルギーを電気自動車(EV)に充電する農業用充電ステーションの本格稼動を開始した。充電ステーション近隣の農家にEVを貸与し、農家はEVを利用して、出荷する農作物の運搬にかかるガソリン代を削減できる。浮いた予算をIT化に充ててもらうことができるかもしれない。
農家によってニーズが大きく異なるという点については、テンプレート型で農家が自由に機能を組み合わせられるようなソリューションを提供したり、個別農家のニーズに応じて適切な農業ITソリューションを提案できるコンシェルジュを育成したりするなどの努力が求められるだろう。
結局のところ農業IT化は、動き始めたばかりで、どのIT企業もまだ手探り状態にある。課題は多いが、ITベンダーは前向きな姿勢を崩そうとしてはいない。現時点では、農業ITビジネスで安定した利益を捻出している企業は見当たらないものの、ベンダー各社の担当者からは、「自分たちが日本の農業を変えるのだ」という気概が感じられる。農業IT化が本格普及期を迎えるのは、そう遠くはない将来だと信じたい。