米Docusign(ドキュサイン)は営業や経理など、契約が関わるあらゆる部門を支援する基盤「Docusign IAM」の展開で、既存のリーガルテックを超えた価値を提供しようとしている。日本法人においても電子署名や契約ライフサイクル管理(CLM)を中心とした従来の事業から、販売戦略やパートナー戦略を転換し、法務の支援にとどまらないビジネスを展開する構えだ。電子署名ツールで圧倒的な知名度を誇る同社が、「IAM」とともに歩み出そうとしている道筋に迫った。
(取材・文/大畑直悠)
電子署名は法務だけのものではない
IAMはIntelligent Agreement Managementの略。契約情報を企業全体の資産として活用し、ビジネスの高度化を後押しするソリューションだ。具体的には、▽蓄積した契約データを用いた最適な合意の形成▽契約が含まれる業務に対する部門を横断したワークフローの構築▽外部システムとの連携による複数部門での契約情報の展開―を可能にする。IAM製品に含まれる「Workflow Builder」は、電子署名ツール「eSignature」や契約書管理、契約に必要な情報を取得するWebフォーム、本人確認などを組み込んだワークフローを構築できる。また、ワークフローと統合可能な他社製品やパートナーが構築したアプリを掲載する「App Center」も活用することで、部門を越えた契約業務を支援する。
一般的にリーガルテックは、法務に特化して、契約書の作成、レビュー、法令・判例の調査などを支援するツールで、企業の法務部門や弁護士をユーザーとするケースがほとんどである。各プロセスで法務担当者の特定業務を支援する製品のほか、法務部門全体の最適化に資するCLM製品が代表格だ。これに対して、IAMでは法務だけではなくあらゆる部門が関係者となるべきプロセスとして「契約」を捉え直すことで、これまでリーガルテックが対象としてこなかったユーザーの獲得を狙う。
ドキュサイン自身もCLMのリーダー企業として地位を築いてきたのと同時に、契約の締結を担う電子署名ツールの先駆者として発展してきた点で、ほかのリーガルテックベンダーとは元々の立ち位置が異なっていた。契約の締結業務は営業や人事、購買といった各部門が担うことが多く、そもそも電子署名は法務だけが関わる領域ではない。また、商談内容と契約書の整合性の確認や、契約書に基づいた適切な支払いが行われているかの照合など、営業や経理といった部門の日常業務と契約は関連性は高く、これを一連のワークフローとしてつなぐ点が、IAMの主眼となる。
IAMのユースケースを具体的に示すベストプラクティスとなるのが、ユーザー企業の顧客が電子署名する際の本人確認を効率化する「IAM for CX」だ。Webフォームを活用して顧客のデータを取得しつつ、収集したデータを契約書に反映させ、電子署名で契約を締結できる。新規アカウントの開設などでシームレスな顧客体験の構築をサポートする。
営業向けの「IAM for Sales」も用意する。営業担当者がCRMから離れることなく契約書の作成や送付、文書管理ツールへの保管、法務担当者とのやり取りなどをできるようにする。今後はHRといった領域での展開も想定する。
細田 博 執行役員
細田博・執行役員は「ワークフロー製品はほかにもあるが、各業務アプリに電子署名をくっつけるだけでは契約情報が散逸してしまう。IAMのワークフローであれば契約情報を一元管理し、契約に関する単一の信頼できる情報源にできる点で優位性がある」と強調する。
AI機能「Iris」で契約データを活用
ワークフローの構築に加え、IAMが強みとするのが、AIエンジン「Iris」を中核とした契約書情報の活用だ。契約プロセスに特化した学習を施したLLM(大規模言語モデル)を活用する点が特徴で、IAMに蓄積した契約データから効率的にインサイトを引き出せるように支援する。契約書内の重要事項や日付などをメタデータ化して検索性を高めるといった多様な機能を展開する。
具体的な用途として、例えば現状の契約条件に対して法規制や会社方針が変わった際に、契約更新によってどのようなリスクが生まれるかを指摘する。判定したリスクを許容できるかどうかは事業部門や経営層の判断となることもあることから、今後は法務だけではなく、営業や購買など、関係する部門にリスクを共有する機能も充実させる。
また、IAMに蓄積したデータを外部製品から利用するための役割も担う。細田執行役員は「契約情報をドキュサイン製品内の画面からだけではなく、他社のAIエージェントからも使えるようにするベースとなるAIエンジンだ」と説明する。
Interview
国内パートナーエコシステムを再構築へ
複数部門を巻き込むIAMでは、経理や営業、購買などの業務を支援する多様なパートナーとの連携が重要になる。6月1日付でドキュサイン・ジャパンのトップに就いた吉田浩生社長は「パートナーエコシステムの再構築を進める」と語り、国内ビジネスの拡大に弾みをつけたい考えだ。
──IAMの国内展開の進展は。
まだまだこれからの状況だ。先行する米国や欧州ではすでに4万社以上が利用している。国内ではまず、IAMというカテゴリーをつくることが重要だ。これまで契約書は、管理しなければいけないが、しまい込まれているだけで活用されない「負の遺産」のような側面があった。IAMでこれを戦略的なアセットに変えられるということを普及させたい。国内でもすでにニーズはあり、日本法人が果たすべき責任は大きい。
吉田浩生 社長
当社では法務の担当者と話をすることは多いが、法務部門だけが主導するDXプロジェクトになってしまうと、ポイントソリューションの導入や限定的な効率化にとどまってしまう。法務部門に代わって、当社が経理や営業、購買といったさまざまな関係部門に説明し、巻き込む活動を展開している。契約に関してエンドツーエンドで支援するという点を理解してもらえるように展開している。
──国内のリーガルテックベンダーとの関係性を聞く。特にローカルな法規制への対応では国内ベンダーに強みがあるように思う。
そもそもコンセプトの違いがある。契約書レビューや電子契約など、ポイントソリューションとしての競合はもちろんいるが、プラットフォームとして展開するIAMのポジションには独自性があると考えている。
国内ベンダーのソリューションをIAMのワークフローを用いてより有用にして、互いに補い合う協業パートナーとなりたい。すでに連携の取り組みを進めており、国内のリーガルテックが持つ知恵と共創していきたい。
──リーガルテックでは、法務や弁護士が持つ専門的な知見をAIに代替させる動きが活発だ。これを踏まえたAI戦略を聞く。
前提として、当社はAIを売りたいのではなくて、IAMを売りたい。当社の特色は、ERPやCRMなどに搭載されたさまざまなAIエージェントと連携したワークフローをつくれることで、Irisはその際、連携の支援や保管している契約データを引き出す窓口としての役割を果たす。
これは、各社が競っているAIエージェント戦争に、当社は乗らないということだ。リーガルテックにおいても、優れたAIソリューションがあるのなら裏側で当社のワークフローが動くようにする。その意味では、競合でなく隣に立つ存在を目指しており、「このAIは使えない」というものがないようにしたい。
eSignatureを呼び水に
──販売戦略は。
当社は良くも悪くも電子署名で名前を売った会社だ。「すでに電子署名は導入済みだから」と関心をもたれないケースはあるが、国内市場の実情としては、電子契約を未導入の企業のほうが多い。eSignatureを呼び水とし、IAMも含めて案内していく。
販売ターゲットとしては、複数部門が関係し合い、効果が見えやすい大企業を狙う。ただ、契約をエンドツーエンドで支援すると言っている肝は、CX、経理、営業など顧客が手をつけたい領域の優先順位に応じて支援できる点にある。その意味では、中堅・中小企業であっても必要な部分に提供するのは十分に有用だ。
──パートナー戦略はどのように取り組むか。
これまでの電子署名などの販売のプラスアルファとして、IAMを提供してもらえるようトレーニングやイネーブルメントに資源を集中投下したい。
IAMはパートナーにとってもメリットがある商材だ。リーガルテックも含めて、専門性が高くとがった商材は、パートナーにとっても扱いづらさがあり、特定の部門だけを対象としたポイントソリューションの販売に終始してしまいがちだ。これでは、パートナーからは「手間だけかかる」「契約代行しているだけ」だと思われてしまうし、何よりパートナーが儲からない。
パートナーエコシステムの再構築でメスを入れたいのはここだ。ERPやCRM、グループウェアなどと連携しながら製品を展開するIAMでは、アドオンの構築や保守・メンテナンスなど、導入後もパートナーが収益をあげられる仕組みを形成できる。顧客の営業や経理などの部門を支えるSIerにも当社のパートナーにもなってもらいたい。
──今後の意気込みを。
契約を支援する当社にとって、法務は一丁目一番地だ。ただ、契約というのは複数部門に関わる。契約のDXにおいて、法務部門が勝手に進めたプロジェクトだと思われては、他部門のためにも、責任を負う法務部門のためにもならない。繰り返しになるが、だからこそ契約をエンドツーエンドで支援すると言っている。契約業務に関してバックオフィスもフロントオフィスも高度化することで、経営層が競争力を練り上げられるようにする。