発展には新陳代謝が不可欠
──そうなると、JASIPAも設立から14年がたち、他の業界団体と同様に、平均年齢も自然と上がっています。 だからこそ、私にお鉢が回ってきたのではないでしょうか。私自身もJASIPAの活動を通じて、いろいろビジネスのヒントを得ましたので、ギブ・アンド・テイクの精神で07年から理事を務めさせていただいています。とはいえ、他のメンバーもそうですが、基本的に手弁当での参加ですので、仕事に追われつつも業務の時間を削っての参加です。それだけに、私も含めてみんな真剣に議論します。
それと、理事長交代のタイミングと前後して、各委員会の委員長も30代に若返ることにしました。私もそうでしたが、年齢があまりに離れてしまうと共感しにくくなってしまうのですね。JASIPAでもそれだけは避けたい。自分より4~5歳上か、同世代の経営者と議論することで共感が得やすくなりますし、必要であれば長老からアドバイスをもらえばいいんです。
──そういえば、先日、JASIPA設立メンバーで前理事長の和知(哲郎)さんに話をうかがったときも、似たようなことを話されていました。JASIPAの活動を通じて、和知さんの会社も下請けの開発中心から、ワンストップBPO(ビジネスプロセス・アウトソーシング)までビジネスを広げられるようになったと。 そうなんです。今は東北から沖縄まで約70の法人や個人事業主などの会員が参加しているのですが、もっと全国規模で中小SIerのビジネスモデルの刷新を起こしていきたい。ITビジネスはこれからも変化し続けますし、成熟市場の日本で足りないのは、なんといっても新陳代謝なのです。若いSIerがたくさん伸びて、いずれは次の情報サービス産業を担う中核的な企業に育っていってもらいたい。そのきっかけをJASIPAで手にしてほしい。
──会員数ももっと増やしていかなければならないようですね。 08年のリーマン・ショック前までは100社ほどメンバーがいたのですが、あの恐慌のとき会員がずいぶん減ってしまいました。大手でも厳しかったわけですので、中小はなおさらです。今は約70の当社会員も業績の回復基調にあります。うち首都圏・関東圏が50ほどを占めますので、もっと地方での参加者を増やして、SIerのすそ野を広げていきたい。情報サービス業界を発展させていくには、若いSIerのすそ野をどれだけ広げられるかにかかっていますし、これらSIerが三次請け、四次請けで甘んじているようではダメです。JASIPAでは、SIerの起業支援や次の情報サービス産業を担っていけるようなメンバーとともに、各社の委員会活動を通じてお互いに磨きをかけていきたいですね。

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眼光紙背 ~取材を終えて~
下請けの受託ソフト開発だけでは、早晩立ちいかなくなる。初代理事長の和知哲郎氏(メディアミックス社長)が2002年にJASIPAを立ち上げたのは、そうした中小SIer経営者としての危機感からだった。
当時は、中国をはじめとするオフショアソフト開発の全盛期。単純なプログラミングの仕事は、どんどん海外へと発注されていった。
最初は下請け仕事で起業したSIerも、「次のステップに進むには、ビジネスモデルの転換が欠かせない。みんなそうやって成長してきた」。JASIPAでは、“ほぼ同世代の先輩経営者”に委員会活動に参加してもらい、議論を通じて、先輩方の背中をみながら若手が学ぶ。
ポイントは“同世代の経営者の集まり”で成長に向けた共感をもてるかどうかだ。そのためにも理事長に若手の林義行氏が推薦され、新陳代謝を一段と促進。活性化に導いていく方針だ。(寶)
プロフィール
林 義行
林 義行(はやし よしゆき)
1971年生まれ、群馬県前橋市育ち。専門学校でシステムエンジニアリングを専攻。93年、富士通系のシステム会社に就職。99年、SIerのビーエスシーを起業。代表取締役に就任。03年、JASIPA入会。07年、理事。15年4月、理事長に就任。
会社紹介
JASIPA(日本情報サービスイノベーションパートナー協会)は、2002年、中小SIerのメディアミックスの和知哲郎社長らが中心になって設立した業界団体。全国約70の会社や個人などで組織され、全国各地でのセミナーや委員会活動を通じて、中小SIerが付加価値の向上や収益性の高いビジネスモデルの構築手法などをテーマに議論を深めている。