米国製品を中心に、海外の先進的なIT商材の国内導入で多くの実績をもつ日商エレクトロニクスが、今年設立50周年を迎えた。6月に新たなトップに就任した寺西清一社長は、この10年に過度なリスク回避傾向に陥ったことで、多くの日本企業に閉塞感が漂っていると指摘する。次の50年につながるビジネスモデルを作り上げるため、商社系ITベンダーが本来もつチャレンジ精神を蘇らせるのが自身の任務だという。
リーマンショック以降
日本企業はリスク過敏に
――総合商社での約40年の経験を経て、ITという異業種に来られました。日商エレクトロニクスでは、何がご自身のミッションになるとお考えですか。
当社は従来、お客様からのご要望に応じて、「うちにはこんな商品があります」といって商品を販売し、それに導入や保守のサービスを付加するというビジネスモデルでした。50年間このモデルで収益を上げてきたということは、それだけお客様の信頼を得てきたということなので、立派なことだと思います。しかしこれからの50年は、新しいことにチャレンジしていくことが絶対に必要です。お客様の「こういうビジネスをやりたいのだけど、ITはどうしたらいいのか」というお声に対して、あるべきITの姿をお客様と一緒になって考え、作っていく。作るだけでなく、継続的に改善していく。そんなお付き合いができないといけない。
ITの世界では「RPA」とかなんとか、業界特有の三文字熟語がたくさんあるじゃないですか。私はそういうのには弱い(笑)。いや、もろちん必死に勉強していますよ。ただ、技術に関しては頼れるエキスパートが社内に大勢います。私の役割は、環境が変わる中で、自分たちをどうやって変えて、新たな事業を作っていくかです。そういうチャレンジを実行するために、過去に双日で事業構造の変化を経験してきた私が、この仕事に指名されたのだと考えています。
――多くの日本企業が、従来型の商品販売からビジネスモデルを変えなければならない、という問題意識を持っていると思いますが、事業構造の転換に成功できていないケースのほうが多いように見えます。なぜでしょうか。
それにはいろいろな理由が考えられますが、原因を一つ挙げるとすれば、「失敗を怖がりすぎている」からでしょう。こうなってしまったのは、2008年のリーマンショックの影響が大きいと思います。その前の年は、双日を含め多くの企業が過去最高益を更新するなど、日本経済は好況に沸いていましたが、そこから奈落の底へ突き落とされた。その反動で「過去にやったことがないことは危険」、もっというと「新しいことをするのは悪」という文化のようなものが、日本社会に形成されてしまったのではないでしょうか。
それから10年あまりで、IT市場は大きく成長しましたが、成長の果実を刈り取ったのは、赤字を出してでも「新しいこと」に貪欲に金をつぎ込み、チャレンジしてきたGAFAのような企業です。対して、当社を含む日本企業は、リスクに対して過敏になり過ぎていた。しかし本来、双日グループにいる社員は、新しいことをやりたいと思ってここへ来ているはず。他社が扱っていない商品、人がやっていないことをやるから儲かるんだということを、商社の人間は知っていますから。ですので、当社へ来て社員に最初に言ったのは「チャレンジする風土を作る」ということでした。
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