2010年に創業100周年を迎えた日立製作所。記念すべきこの年に、同社はもう一つの節目を迎えていた。それは、同社の情報・通信システム社ソフトウェア事業部が「日立ソフトウェア女子ソフトボール部」を創部してちょうど25年を迎えたのだ。不況の影響で、実業団スポーツから撤退する企業が目立つ。そのなかでも、日立のソフトウェア事業部は、一貫して女子ソフトボール部を支え続けている。

イベントでは監督、コーチ、選手総勢30人が登壇。会場には日立の従業員や関係者が詰めかけ、互いに奮起を誓っていた

「ソフトだからソフト」がきっかけ

 2010年12月21日、横浜市内のホテルの大宴会場は、人が溢れんばかりにごった返していた。日立ソフトウェア女子ソフトボール部の納会が開かれ、監督やコーチ、選手ほか、日立の従業員が会場を埋め尽くしていたのだ。日立からは坂上秀昭・ソフトウェア事業部長やグループ会社である日立ソリューションズの小野功会長など、錚々たる経営幹部が出席。女子ソフトボール部の後援会長を務める坂上事業部長が冒頭に挨拶して、小野会長は乾杯の音頭をとり、1年間の労をねぎらった。坂上事業部長は、「2010年は25周年という記念すべき年でもあり、開催場所を奮発した(笑)。2011年にはこれまで以上の成績を残してもらいたい」と笑顔交じりに話し、奮起を促した。

 日立のソフトウェア事業部が、女子ソフトボール部を創部したのは1985年。知名度向上と従業員のモチベーションアップが目的で、ソフトウェア事業部のシンボルスポーツとして創部された。北京五輪で金メダルを獲得し、今でこそ広く知られるようになった女子ソフトボール部だが、25年前はまだ知る人ぞ知る存在。社内の誰かが、「ソフト(ウェア)だからソフト(ボール)」と提案した。冗談のようだが、その提案が受け入れられて同社の女子ソフトボール部が誕生した。それから25年間、世間にそれほど注目されなかった時期から、日立ソフトウェア事業部はずっと支援し続けてきた。

 日立の女子ソフトボール部は、古豪として日本女子ソフトボールリーグ1部で常に上位に名を連ね、2010年のシーズンは準優勝を獲得。08年に開催された北京五輪の女子ソフトボールチームには、監督やコーチ、選手を含めて7人を送り出し、金メダルの獲得に大きく貢献した。

納会の冒頭、挨拶する坂上秀昭事業部長(左)と日立ソリューションズの小野功会長

日立ソフトウェアの選手・スタッフ。右から二番目が藤本あさ子監督。山口憲子選手(一番左)は「IT Operations」の開発部署、山田恵里選手(左から2番目)は「Cosminexus」の開発部署に所属している。

日々の仕事に張りを与える存在

 企業が実業団スポーツを支援するのは、知名度向上を大きな目的とするのが普通だ。選手や監督が、ユニフォームなどに社名や製品名を表示して活躍すれば、多くの人に知られるようになる。出費は大きいが、テレビや新聞、雑誌やインターネット広告に比べて投資対効果は高いといわれる。

 しかしながら、日立の従業員に話を聞けば、それだけが理由ではないという。「選手や監督も日立の従業員。毎日、午前中はともにオフィスで仕事している。真剣勝負の世界で活躍している選手と触れ合えるのは大きな刺激。日々の仕事に張りを与えてくれる」(友成文隆・販売推進部部長付)。

 その一方で、選手は力の源を語る。主力選手で北京五輪でもレギュラーで活躍した山田恵里さんは、「毎試合、多くの日立社員が応援に駆けつけてくれる。自分自身のためではなく、応援してくれている人のために頑張ることで、より一層力が出る」。また、監督の藤本あさ子さんは、「選手・コーチ、一般の社員どちらにもよい影響を与えている存在になっている。チームメンバーと社員の仲間意識が強く、刺激し合える関係を築いているのは、ほかの企業にはない日立の強み」と語る。

 会場には、400人程度の人が詰めかけ、選手や監督・コーチ陣と談笑し、2011年の奮起を互いに約束する場面があちらこちらでみられた。そこには、同じ従業員であるという仲間意識と、戦う環境が違うがゆえに感じられる刺激を互いに与え合っている様子がうかがえた。単なる広告塔としてだけではない企業スポーツの存在、価値を垣間見ることのできたイベントだった。(木村剛士)