中国東北部の吉林市で8月29日、かつて存在したソフトウェア開発会社・松和電脳軟件(松和電脳)の設立25周年を記念する式典が開催された。すでに消滅した企業についてこのようなイベントが開かれるのは、当然ながら中国でも異例。しかし、会場には浙大網新(INSIGMA)や中訊軟件(SinoCom)など中国大手SIerのキーパーソンを含む大勢の経営者が集い、吉林市の幹部職員も多数詰めかけた。実体を失っても、今なお存在感をもち続ける松和電脳とは、一体どのようなIT企業だったのか。

すでに存在しない企業の設立25周年という異例の式典が開催された(中国・吉林市)

 かつて中国の一流大学の学生は、公務員になる、国営の大企業に就職する、欧米に留学する、これらいずれかの進路を選ぶことがほとんどで、いわば卒業後の将来が約束された身分だった。しかし、1980年代後半はソ連(当時)でペレストロイカが進み、中国でも民主化を求める学生運動が最も活発化していた時期にあたる。1990年前後に大学を卒業したエリートに対する国の見方は、「将来のリーダーたる学士様」一辺倒ではなく、一部には「体制の存続を脅かす危険分子」という捉え方もあったようだ。公務員や国営企業での働き口は少なく、西側諸国への渡航も規制されており留学も難しかったようだ。

 一方、経済面では改革開放政策が推進された時期でもあり、各地でハイテク産業の誘致が始まっていた。そのプロジェクトの一つとして、当時の能源部(エネルギー省)が管轄する東北電力大学と、日本の日軽情報システム(日本軽金属傘下)との合弁で設立されたのが、松和電脳だった。会社は当初吉林市の東北電力大学内にあり、採用された新卒生はそこで日本語とソフトウェア開発を学び、その後日本に派遣され、日軽情報システムの研修生として開発業務に携わった。ITの分野では最初期の日中合弁企業である。

 海外渡航が厳しく規制されるなか、最新の技術を学び外国へ行くことができるとあって、北京大学や清華大学などを含む中国全土の一流大学から応募があり、松和電脳には各大学で選抜された優秀な新卒生が集まっていた。関係者は「今だったらIBMやオラクルでも採用できないレベルの人材が大勢いたのでは」と当時を振り返る。

式典に参加した松和電脳のOBら。現在も中国や日本国内で日本向けのビジネスに携わる人が多い

 その後、松和電脳は北京にも拠点を設け、対日オフショア開発で実績を積み上げる。日本の金融業界からもシステム開発を受託するに至るが、日中出資者間での経営方針のすれ違いなどから、2000年に10年の満期をもって合弁を解消した。しかし、この間に技術と経営を身につけ、顧客からの信頼も獲得した松和電脳のメンバーは、自らの会社設立や大手SIerへの移籍に動き、現在でも対日オフショア開発市場で重要な役割を果たしている。冒頭に挙げた浙大網新や中訊軟件以外にも、博彦科技(Beyondsoft)や訊和創新(大和総研ビジネス・イノベーション傘下)など、日本とつながりの深いIT企業の幹部となった人物も多い。

 浙大網新の執行総裁で、北京服務外包(サービスアウトソーシング)企業協会の理事長を務める鐘明博氏も、松和電脳の第1期生である。中国のSI業界を代表するエグゼクティブでありながら、この日は一人ラフな格好で会場に現れた。鐘氏は「今日集まったのは、大学を卒業してすぐ寮に集められ、毎日缶詰になってプログラミングと日本語を勉強した仲間。私たちにとって松和電脳は、会社というよりも学生時代の延長のような場所だった。今はみんなビジネスではライバルだが、個人としては友人以上に親しい関係」と話し、かつての同僚たちとの再会を喜んだ。

OB代表として挨拶した浙大網新の鐘明博・執行総裁

 一方、今回吉林市の肝煎りで松和電脳のOBが集められたのには、この地にもう一度IT産業を育てたいという地元政府の強い意向がある。上海・北京・広州などの大都市では、人件費やオフィス賃料などの事業コストの高騰が続いており、IT企業でもコストの安い地方への移転によって、収益性の回復を図ろうとする動きがみられる。吉林市は、松和電脳OBの人的ネットワークや、同社出身の経営者たちがもつ知見を生かし、地元の産業振興につなげたいと考えている。

 中国東北部がもつ“地の利”としては、古くから日本との交流があり、現在も日本語学習者が多いなど、日本への関心が強いという点が挙げられる。日本からの仕事を受託するにあたって、日本語能力の高い人材を集めやすいという点は大きな武器になる。この地盤の強さを、どのように対日ITビジネスと結びつけていくかが、吉林市の課題だ。

吉林市内で建設中の「軟件服務外包(ソフトウェアサービスアウトソーシング)産業基地」

 吉林市では、ハイテク産業に対する減税策の整備や、IT企業誘致の受け皿となるソフトウェアパークなどの建設が進んでいるが、「松和電脳をもう一度」という当局の思惑通りに、大都市から吉林へIT企業の移転が進むかは未知数だ。ただ、上海や北京に本社を置きながら地方都市にも開発拠点を設け、設計は本社、プログラミングやテストは地方といったように、工程による拠点の使い分けを実践するSIerもすでに存在している。中国のSI業界において、地方の活用は「是非を議論」する段階から「いかに行うかを検討」する段階へと移りつつある。

 また、この日の式典に参加した松和電脳出身者は、流ちょうな日本語を話し、日本市場の特性を熟知した“日本通”ばかり。式典のなかで設けられたディスカッションの時間でも、議論の対象はマイナンバー制度や派遣法改正など、日本の最新トピックにまでおよんでいた。会場でどの参加者に話を聞いても、青春時代の一時期を過ごした日本に対しての思いは強く、単にビジネスのための市場としてだけではなく、人的交流も含めこれからも日本とかかわっていきたいという気持ちが強く感じられた。吉林市が対日オフショア開発の拠点に再び返り咲くことも、夢ではないのかもしれない。

吉林市郊外の避暑地・松花湖で再会を喜ぶ松和電脳OB。昔社員同士でよく訪れた場所だという