囲碁の国際棋戦で、このところ日本勢が連敗・連敗・また連敗してきたことは囲碁ファンには周知のとおりだ。そこで、メールやチャットで「なぜこんな惨状を呈したのか」、「どうしたら、また復活できるのか」という類の議論が日の丸碁打ちの間で喧しい。四半世紀前には、中国や韓国は日本のプロに先(一段差のハンディ)でも届かなかった。それがいまや両国の若手に、日本のタイトル保持者がコロコロと一蹴されているのが実情だ。つまりは、技術格差など四半世紀もすれば、特定分野ではすぐキャッチアップできることを証明しているようだ。

 喧しい議論を、棋歴40年のアマ囲碁6段格として品定めすると、実力ナンバーワン趙治勲のコメントがバランス感覚に優れているようだ。「国内棋戦は8時間ないし2日制で、国際棋戦は3時間。つまりは、ゲームの種類が違う。マラソンを励んでいる日本の棋士に、1マイルレースをいつも勝てというのは酷だ。実際、感想戦では向こうのプロに負けたことがない。読みや感覚では、引けは取らない」

 実際この国には、呉清源という昭和の大名人がまだ健在で、20世紀の打碁批評を15冊以上の専門書で行っている。そこでは、現代を代表する棋士の実戦譜が、明快(はっきりと)・明確(一意に)・簡潔(寸評で)に評価されている。ここ10年で、王立誠をはじめとする彼の弟子筋が何人もタイトル保持者になったのも当然だった。中国韓国の棋士も、呉清源の著書を争って勉強している。アマの視点子も、大名人の著書15冊を斜めに見たら(読んだのではない)、すぐ2子以上、上達したから素晴らしい。神様に近い呉清源から見ると、プロ棋士も随分ひどい手を打っているのが解るのもほほえましい。

 大名人の啓発活動は、日本で数百年蓄積された最上の知見の上に、自身の冴えた工夫を、誰に対しても隠さずにオープンに取り入れているところが見事である。そして、名人達人ほど、素人にわかりやすい啓蒙書が書ける実例としても貴重だ。ところで、IT技術の領域で呉清源の域に達した技術がわが国にあったかというと、多少疑問があるけれど、一流に近い技術は確かにあった。自然言語処理、言語処理系技術、独自OS技術など。問題は、呉清源のような「語り部」が出現するかどうかにある。