大航海時代

<大航海時代>第22篇●新しき勇者たちへ 第98話 沖縄の運転手さん

2003/09/15 16:18

週刊BCN 2003年09月15日vol.1006掲載

水野博之 大阪電気通信大学副理事長

 しばらく沖縄に居た。十数年振りである。「沖縄も変わりつつありますよ。1度、見に来たらどうですか」と友人にすすめられて重い腰をあげた。大阪から沖縄まで空の旅で1時間40分、東京からは2時間10分。沖縄空港で皆と待ち合わせた。空港が立派になった。通路にはランの花々が配され、実に優雅である。人ばかりゾロゾロ歩いて他は一切無用という東京、大阪あたりの空港に較べると、まことに嬉しい配慮である。どうもこんな優しさを我々は長い間、どこかに忘れてきたのではないか、と思う。ワイワイ、ガヤガヤだけでは良い才覚は出て来ないだろう。

 折柄の夏休みである。空港は人で満ちあふれている。その一角に人だかりがあって割り込んでみると、沖縄の舞踊をやっていた。つらつら見るに、その足の運びがまことに「能」のソレによく似ていて歴史の深さを想わせる。かくしてまことに良き沖縄の旅の始まりであった。沖縄の運転手さんはお年をめした人が多い。私どもの担当の方も、もう80に近い、という。それがカクシャクたるものだ。驚くべきスピードで右へ左へとハンドルを取る。いささかもくったくしたところがない。

 聞けば糸満の出の由。「私たちの若い頃は漁に出て、半日位泳いでいることは珍しくなかった」と言う。「海の中で泳ぎながら昼飯を食ったものだ」と笑う。沖縄を中心として、海流は北は日本沿岸からアリューシャンまで、南はスマトラまで回流している。沖縄の人はそれに乗って業をした。魚をとるだけではない。交貿をしたものである。現に沖縄名物「読谷山花織」はベトナムから伝わったものであるという。まことに雄大な世界を対手にした海洋民族であったのだ。誰だい、「日本人には冒険心がない」なんてしたり顔で言うのは!!もっとも、あまり冒険的ドライブも困るがね。(万座ビーチにて)
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