視点

繰り返すITの歴史

2004/09/20 16:41

週刊BCN 2004年09月20日vol.1056掲載

 このところ「レガシー撤去すべし」の議論が目につく。これには不効率な経営の象徴という響きが付きまとうが、正しい認識とは思えない。オープンシステムを積極的に推すいわば改革派に対し、将来にわたる維持コスト低減の可能性と現状の「オープン基幹システム」の信頼性に深刻な疑念を持つ“現場の人々”の切実な反論もある。そもそもこの種の話は1990年頃から始まったと記憶している。バブル経済は破裂したがパソコンは日の出の勢い、ウィンドウズNTがUNIX対抗のサーバー用OSとして出る直前、オープン・ネオダマ化環境は全て整ったというわけである。火のついたようなオープン化推進論にも関わらず、官公庁、地方自治体、企業において十分にそれが進んでいない、効率化に対する取り組み意欲が希薄であるからだと指摘される。果たして実態はどうであろうか。

 1990年以来レガシーメインフレームの新規導入による売り上げは激減している。だが既設基幹システムのメインフレーム台数は横ばいである。一向に減っていない。メインフレームは“そのまま”使われているのである。もちろんパソコン、サーバー設置台数は急増している。現在のほとんど全ての企業システムではローカル処理、マンマシンインターフェイス処理をパソコン・サーバーで実現し、基幹メインフレームと接続している。オープン化が、実態を知らないアナリストや特定のベンダーが望むほど進まないのは政治力や社内抵抗勢力のせいではない。現場の人々がオープンの技術、信頼性、将来にわたるコストがミッションクリティカル基幹システムにはいまだ不十分であることを知っているからだ。いくつかのメーカーはひ弱なサーバーOSに自社のミドルウェア群を提供することによってRobust(堅牢)でSecure(安全)なシステムの構築を試みる。様々な技術のバランスのとれた進歩により、ゆっくり確実にオープンの道を進んでいくことには間違いはない。

 オープン化問題に加えてアウトソーシング/インソーシング、集中/分散も歴史的にヒステリックに繰り返されてきたテーマである。コンピュータ、通信、等々技術進歩の足並みは揃わない。様々な新しい技術の現状を良く見つめ「古き」と見比べ、情報過多の時代に踊らされることなく、自らの頭と身体で考えた選択をする事が大切であろう。
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