IT社会が進化するなかで、デジタルという概念があまりにも短絡的に一人歩きをしているのではないか。最近、そうした危惧を覚えるようになった。デジタルはいうまでもなくITの基本原理だが、0か1かの二者択一的な価値基準が乱用される社会は決して望ましいものではない。

 商品とみれば「安いか」「高いか」、社会を語るのに「官」か「民」か、そして人や企業の価値を問うにも「勝ち組」か「負け組」かという“デジタル”的な思考がまかり通っている。しかし、短絡的な二元論だけで世の中を理解しようとすると、あまりにも偏狭な袋小路に陥りかねない。

 技術者の立場から歴史的にみると、デジタル技術はいかにアナログのなめらかな波形を再現できるかという「パルスコードモデュレーション」の問題に取り組んできた。技術の世界ではデジタルとアナログは相いれないものではなく、むしろ互いに補完しあう概念なのである。音楽も同様だ。誰でも同じ曲を正確に演奏できるのは、非連続の音符からなる楽譜のおかげである。しかし、本当に人を感動させる音楽は単なる音符の連なりからは生まれない。

 ひるがえって、ものごとを「勝ち組」「負け組」という単純な二元論でしか捉えきれない社会からは、真の豊かさや社会的な実りも生まれてこないのである。日本経済が古い体質から脱皮するためには、ある時期、「効率」か「非効率」かという仮借ない尺度が必要だった。しかし、いつまでもそのままでいいのか、という気づきが少しずつ世の中に広がり始めているように思える。そうした意味で、政府のIT戦略本部が新しい「IT新改革戦略」に、「安心」「安全」というキーワードを盛り込んだことは象徴的といえるだろう。技術進化や改革は重要だが、それだけがすべてではない。

 IT業界の一員としては、デジタル的な発想が社会を変えてきたという自負がある半面、日本人の思想の根幹にまで染みこんでしまったことに忸怩たる思いも感じる。

 ゴルフでいえば、「勝ち組」は右のOBライン、「負け組」は左のOBライン。本当に打ち込むべきラインはその真ん中にある。日本経済が量的緩和やゼロ金利の非常事態から解き放たれようとしている今こそ、新しい時代にふさわしい哲学とコンセプトに取り組んでいく必要があるだろう。