視点

知的資源としての教育コンテンツ

2006/07/10 16:41

週刊BCN 2006年07月10日vol.1145掲載

 インターネットを利用する環境が飛躍的によくなったおかげで、その応用分野が一挙に広がった。放送と通信の融合が議論されるのもその現れである。応用のなかでは、e─ラーニングは特に期待の大きい分野だろう。

 e─ラーニングを導入すればそれなりのメリットがあることはわかっている。大学では授業をインターネットで配信する試みもある。だが思ったよりe─ラーニングの普及が進まないのは、その要となるコンテンツ開発に多くの時間、労力、費用がかかるからである。

 教育コンテンツには信頼性のほかに、わかりやすさや楽しさといった魅力も必要なので、その開発には教育やコンテンツづくりの専門家の協力も必要であるが、それは簡単なことではない。

 古いものだがすばらしい教育コンテンツの例を紹介しよう。昭和42年の4月から1年間、NHKの教育テレビで毎週日曜日の夜7時から1時間、現代科学講座「情報の科学」が放送された。1年間ノートをとりながら聴講した。

 講師はこの分野の第一線で活躍している研究者たちであった。いまそのノートを見てみると、内容は多岐にわたり極めて充実していたことがわかる。

 内容は大テーマと毎週のテーマに分かれている。大テーマは経営と情報、科学技術と情報、通信と情報、コンピュータ工学、生物と情報、社会活動と情報、情報科学の開拓者、総集編である。

 社会活動と情報のなかには心理学や芸術の話もある。毎週1時間の放送にその何十倍もの時間をかけ、多くの人手と膨大な費用もかかったと思われる。

 40年も前に、情報をこれだけ多様な視点からとりあげてコンテンツをつくったのは驚きである。いまの大学でもこれほどの内容を体系的に教えているところはないだろう。これはまさに文理融合の優れた教育コンテンツの古典といってよい。これをその後の理論や技術の進歩に合わせて編集しなおせば、e─ラーニングの質の高いコンテンツになるはずである。

 教育コンテンツはわが国の重要な知的資源となりえる。過去の優れたコンテンツの発掘再利用と新たな開発のために、国としてもまた民間レベルでも今後十分な投資をしていく必要がある。

 教育コンテンツのなかでも確立された理論や技術に関するものは、時代を経てもその価値は失われない。わが国の人材育成のためにも有用だが、人材不足に悩む発展途上国に提供すれば、知的資源で国際貢献ができることになる。
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