視点

就職戦線異聞

2008/08/25 16:41

週刊BCN 2008年08月25日vol.1248掲載

 開成高校から東大法学部というご町内の4年生が、国産で1、2を争うとされるコンピュータメーカーに就活面接したところ、「入社してから3年間、最初からプロジェクト(プログラマ)管理の仕事をやってもらう。そしてその後SE(システムエンジニア)やコンサルタントになってほしい」と言われたという。そこで当該学生は、慌てて少数精鋭のソフトハウスを訪ね、技術を10年磨かせてもらいたいと要請した。

 「現場の技術、つまりプログラミングやテストを10年は研鑽しないと一丁前のプログラマにはなれない」という過去半世紀の知見に、国産メーカーは無知な惨状を呈しているようだ。アップルやグーグルとはいわないまでも、IBMやマイクロソフト風情の後塵を拝してきたのもむべなるかなである。プログラミングより設計が偉く、設計より仕様決めが偉く、プログラマよりSEが偉いなどという米国流の錯覚を、そのまま鵜呑みにしてしまう度し難い知的怠惰は救いようがない。EUでは、コンサルタントやSEよりプログラマのほうが数等偉いのであり、プログラマよりマセマティシャンのほうが数等尊敬されるのだ。

 ノーベル賞を受賞した経済学者カーネマンの講演ではないが、「野球のバットとボールの値段合計が1ドル10セントであるとする。バットはボールより1ドル高い。ボールはいくらか?」という問いに、「ボールは10セントだ」と誤答する米名門大学の約半分を占める学生と同じような知力しか国産メーカーの現場はもっていないようだ。さすがにわが法学部学生の知力はもう少し高いのが救いだ。

 この分水嶺の根は、相当深く思える。1万2000年前の古縄文以来の日本人の血をこの学生は受け継いでいるからだ。300万年でたかが3倍にしか増えなかった大脳新皮質と、たかが10万年ほどしか経っていない人の言語的(論理)判断よりも、35億年の歴史をもつ古い脳による情動を伴う直感的判断を位置づける知力がこの学生にはある。

 また、近くは元禄や文化文政の職人文化を想起させる眼力もある。昔のお茶汲み人形やカラクリではないが、アイボやDSやWiiがこの町に出来(しゅったい)する波長を身につけている。ソニーやホンダの前身である町工場に横溢していた、戦後のマッカーサー・日教組教育の「大脳新皮質シンドローム」を撥ね返し、笑い飛ばす力もある。ヤジロベエではないが、本来の街の文化文明力を取り戻す季節になってきたようだ。
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