スタートは“バラ色の人生”
このシリーズでは、フリーエンジニアが歩んだ道程と、何を強みに仕事を獲得しているかを探り、個人事業主として生き抜いてきた知恵と努力の足跡をなぞる。今回は、25歳で独立しておよそ15年、一人で活動し、ソフト開発だけでなく、書籍の執筆とセミナー講師という活躍舞台をものにして仕事の幅を広げてきたフリーエンジニアの姿を追った。
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池田成樹は、立教大学社会学部を卒業後、社員数5人ほどの小さなソフト開発会社に就職した。1年ほどキャリアを積んだ後、大手ソフト会社に移籍して生産管理システムや精密機器の制御用ソフトの開発に携わり、25歳で独立した。小学生からの趣味だったプログラミングを仕事にすることができたものの、組織になじめず、「会社勤めはもうイヤだという子どもじみた考え」で、フリーの道を選んだ。池田が独立した1999年は、ドットコムバブル時代。「ウェブサイトの制作や関連システムを開発する仕事は山のようにあった」という。一方で、開発者は不足している。ユーザー企業やITベンダーにとって、フリーエンジニアの価値は高かった。ピーク時には、ソフト開発の一部を請け負う簡単な仕事で、1か月で120万円を稼いだ。「仕事に関係する出費は経費として落とせるし、何より、会社勤めの頃の給料とは比べものにならないほどの高収入を得た。20代の企業人では考えられないほど派手な遊び方をしていた」。組織で働くのがイヤで飛び込んだフリーの道。厳しい世界が待っていると予想していたが、意外にも「ラッキーな市場環境」が池田を支え、会社勤務の頃には考えられなかったほどの実入りを得た。しかし、華やかな時代は長くは続かず、5年後に池田はどん底を味わうことになる。(つづく)[文中敬称略]