1970年の年の瀬、東京・渋谷駅前で1人のベンガル人の若者が義援金を集めていた。その年にベンガル湾で発生した熱帯低気圧は、やがて史上最大級のサイクロンとなった。暴風雨と高潮に襲われ亡くなった人は少なくとも20万人、家畜は80万頭ともいわれる悲惨なものであった。このサイクロンが契機となり、翌年、独立戦争を経て東パキスタンからバングラデシュとしての独立につながっていった。
この災害復興で圧倒的に不足したのが資金である。そこで先進国に留学している人、留学経験のある人は、その国に出かけて義援金を集めることになる。国費で大阪大学と東京大学に9年間の留学経験を持つモンターズ・ブイヤン氏は日本に派遣され各地で義援金を集めた。
この時、渋谷で義援金集めを手伝っていた1人が、当時、実践女子大学の学生であった植松和子さんだ。彼女はこのブイヤン氏に一目ぼれし、73年に結婚する。当時は日本が高度成長期、アジア各国はまだまだ発展途上であった。
この運命の2人に子どもが生まれる。名前はタレク・ラフィ・ブイヤン・ジュンさん。彼の家庭は日本語が日常会話だったため日本語、ベンガル語、英語を使いながら幼少期を過ごす。やがて、92年に彼が高校2年の時、突然父のブイヤン氏から「弟が日本からやって来るので仲良くするように」と言われる。
この留学生こそ小島衣料(岐阜市)の小島正憲社長の次男・高典氏である。当時、出張でタイやインドネシアを訪れると、ホテルであってもすぐに物がなくなる。おそらくバングラデシュでは、それ以上であったはず。ここに留学させようとする親とそれなら行ってみようかという息子、この異色の組み合わせで、この留学は成立した。後で分かったことだが、ことの実状を心配したブイヤン氏は、小島社長から高典氏はどうなっても一切責任にはならないとの念書を取っている。
やがてこの2人が再会するのが、チャイナプラスワンで小島衣料が工場を中国からバングラデシュに移転させた2010年である。現在、高典氏は48歳。本社の副社長で現地との合弁企業の会長、ジュン氏は49歳でニュービジョンソリューションの経営を担い、日本企業の同国進出の支援を仕事にしている。不思議な縁で結ばれた2人はとても仲が良い。今日もダッカの街を飛び回っている。
アジアビジネス探索者 増田辰弘

増田 辰弘(ますだ たつひろ)
1947年9月生まれ。島根県出身。72年、法政大学法学部卒業。73年、神奈川県入庁、産業政策課、工業貿易課主幹など産業振興用務を行う。01年より産能大学経営学部教授、05年、法政大学大学院客員教授を経て、現在、法政大学経営革新フォーラム事務局長、15年NPO法人アジア起業家村推進機構アジア経営戦略研究所長。「日本人にマネできないアジア企業の成功モデル」(日刊工業新聞社)など多数の著書がある。