中国の朱鎔基元首相が8月12日、97歳で死去した。「棺桶を100個用意しておけ」との有名な言葉があるほど抜本的な経済改革を断行し、世界の工場という中国経済の基礎をつくり上げた立役者である。
彼の最大の功績は国有企業の改革である。なにしろ失業保険も年金もない時代に4000万人もの従業員の首を切ったのだ。当時の国有企業はただ社員を雇うだけではなく、住宅や学校、病院も提供する公共事業体であった。これが業績が良くないからと突然閉鎖されるのだから、天地がひっくり返るほどの大変な話である。
しかし、大木を切り倒して原野にすると新しい木が生えてくる。今日の中国企業の多くがこの原野から生まれてきた。そして、会社が国有企業のように住宅を提供しない代わりに個人でも住宅が持てる制度(土地使用権)を創設し、住宅産業が発展することになる。
2番目に実行したのが金融改革である。4大国有銀行は採算の悪い国有企業に資金を貸し付けしていたので財務状況はボロボロであった。この銀行の処理は信じられないほどの早業であった。まず、資産管理会社をつくり4大銀行の不良債権を買い取らせる。そして、大量に資本を注入した。この処置で、かろうじて生き延びた中国工商銀行などの国有銀行は、数年後ニューヨークや香港で上場を果たし、世界のトップ銀行へと変身する。
3番目は行政改革で、40の省庁を29へ削減する政企分離政策である。石炭工業省など計画経済に連なる省庁を廃止し、政府の役割をプレイングマネジャーからマネジャー機能に切り替え、政府職員を大幅に削減した。付加価値税にあたる増値税の導入や税制改革も行い、地方から中央政府に税収を集めマクロ経済をコントロールできるようにした。
これらの改革を首相在任の5年間を含めてごく短期間に成し遂げた。そして2001年には世界貿易機構加盟にこぎ着ける。難題を先送りしない、例え泥をかぶっても自分の時代で片付ける、見事な処方である。
ひるがえって今日の主要各国の指導者を見ると、わが国を含め多くが難題を先送りし、政権の目先の支持率と選挙、当面の経済成長率の維持にきゅうきゅうとしている。“覚悟”という点においては、朱鎔基元首相の爪の垢でも煎じて飲んだほうが良いのではないのか。
アジアビジネス探索者 増田辰弘

増田 辰弘(ますだ たつひろ)
1947年9月生まれ。島根県出身。72年、法政大学法学部卒業。73年、神奈川県入庁、産業政策課、工業貿易課主幹など産業振興用務を行う。01年より産能大学経営学部教授、05年、法政大学大学院客員教授を経て、現在、法政大学経営革新フォーラム事務局長、15年NPO法人アジア起業家村推進機構アジア経営戦略研究所長。「日本人にマネできないアジア企業の成功モデル」(日刊工業新聞社)など多数の著書がある。